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太田2008『亡霊としての歴史』 [全方位書評]

太田 好信 2008『亡霊としての歴史 -痕跡と驚きから文化人類学を考える-』叢書 文化研究6、人文書院

「植民地主義下の不法行為は過去のことであり、その意味では終焉し、閉塞した歴史である。だが、それらの不法行為の歴史は、予期せぬ政治的・経済的・文化的展開によって、その閉塞を打ち破られる。福岡高裁の判決(2004年5月24日、中国人元炭鉱労働者15名が国と三井鉱山を相手取り総額3億4500万円の損害賠償を請求した訴訟で訴えを棄却した判決:引用者)は、過去と向き合うことが民主国家の成熟度を示すといってもいい時代に、植民地主義が生み出したゆがんだ過去を語り直す絶好の機会を、みすみす逃してしまったことになりはしないだろうか。」(19-20.)

キーワードは、「語り直す」である。
本文章は、2004年6月に東京外国語大学で開催された日本文化人類学会第38回研究大会における「終焉を拒む歴史から見える世界 -和解・返還・再考-」と題する分科会における口頭発表が基となっているが、それから20年弱が経過して日本という国家は未だに「過去と向き合うこと」ができずに「民主国家の未成熟度」を世界に示し続けている。

「判決を前にしてわたしが考えたのは、この裁判が過去の不正義を正す機会だったということだけではなかった。そもそも、司法制度が歴史の沈黙を破る声の受け手として適切かどうかも、きわめて疑わしい。それよりも、驚くべきことに、この裁判を通して聞こえる声が、繰り返し宣告される歴史の終焉 -植民主義の終焉や冷戦構造の終焉- を否定し、時間を脱節し、回帰し続ける過去からの声であったということである(太田2003b)。つまり、司法制度によって補償を勝ち取ること以上に、その声は現在の社会状況に対するわたしたちの認識を問い直すことを求める声なのである。わたしは、歴史的他者からの声を現在のわたしたちという存在に媒介すること -歴史的他者の声を受け取り、それが向かう目的地だけではなく、それとは異なった方向へと導くこと- が重要であるといいたい。その理由は、個人の倫理に照らし合わせて重要だというのではなく、社会分析の進むべきひとつの方向は、歴史と文化によって隔てられた対象をいま、ここへと媒介することだと考えているからである。」(20.)

キーワードは、「声」である。
「過去からの声」、「認識を問い直すことを求める声」、「歴史的他者からの声」…

「いま述べたような歴史認識のもと、ここでは新大陸の先住民と文化人類学や人権言説との関係を語り直すきっかけとして、最近のカリフォルニア先住民とグアテマラのマヤ系先住民の活動やその表象のされ方を取り上げ、「返還(repatriation)」という概念の持つ可能性と限界 -つまりそれが生み出す新たな困難や問題点- について考えてみたい。
この返還という概念は、先住民の過去と現在だけでなく、しばしば文化人類学の過去と現在をも巻き込み、両者を媒介する。その過程において、著名な文化人類学者が偶像破壊的批判にさらされた。しかしそれは「文化人類学(者)バッシング」を加熱させただけだとはいえない。先住民たちの未来と同様に、文化人類学の未来も植民地主義の歴史によって閉ざされてしまったわけではない。両者の間のねじれた関係は、再度解きほぐされ、結び直される可能性もある(Clifford2004)。したがって、返還や和解(reconciliation)は過去に立ち返るという意味で歴史に帰属する概念なのではなく、現在と過去との間に横たわる時間的差異によって可能になるものは何かを浮き彫りにする、未来を志向する概念だといえるのである。」(21-22.)

文化人類学会では2004年に「返還」という語が副題に記された分科会が開催されて、「返還」が文化人類学の過去と現在を巻き込み、未来を志向するという展望が示されたのだが、文化人類学と隣接する考古学、特に「日本考古学」はどうだっただろうか?
2010年に日本考古学協会の総会で問題が提起されて以来、何か「未来を志向する」ような動きは見られただろうか?

「先住民たちの要求は「アイデンティティの政治」であり、したがって特定集団の利害にもとづいた主張にすぎず、反対に科学者たちの立場はつねに中立で、純粋な知識の探求であるといったところで、逆に科学者の側の政治的意図が透けて見えてしまう場合もある。アメリカ合州国の世論は明らかに、先住民たちの立場を後押ししている。「イシの脳」の返還が大きな話題をよんだのも、過去の不正義を正す制度としてこの法律が広く支持を得たためであろう。
法制度の整備は、過去への贖罪という動機によりおこなわれてきたのかもしれない。だが、返還は過去への贖罪が不可能であるからこそ、むしろ新たな関係の構築へと開かれている。返還は過去へと立ち返ることにより、未来へと向かっているといってもいい。返還という概念により把握されるのは、器物や人骨の返還 -しばしば、その返還の対象も簡単には特定できない- が終点となるような過程ではなく、法制度が先住民たちと国家ならびに支配的な民族との関係の再交渉を許すという意味で、返還後も継続する関係を築く過程なのである。」(23.)

不当に持ち出された遺骨や副葬品などの返還を求めている人たちは、単にそれらの<もの>を元の場所に戻すように要求しているのではない。
先住民あるいは被植民地住民としての尊厳を回復するように求めている。

「返還は器物や人骨などの受け渡しによる、分断を超えた新たな関係の創出を意味するだけでない。ある個人にとって、これまで忘却の彼方へと押しやっていた記憶に、新たな関連づけをおこなう作用もある。個人は文字どおり「本国へと帰還する」のである。だが、その帰還は、故郷へと戻り、亡命の物語が終わりを告げるのとはほど遠い、未来に向けた解決を見ない、混沌とした関係の始まりなのであった。」(33.)

かつての植民地宗主国に所蔵されている不当流出文化財は、現在と過去を一挙に結び付けていく。
現在に連なる帝国主義者たちが過去において植民地でどのような抑圧を、どのような暴力を行使したかを繰り返し想起させる。亡霊のように。
現在に生きる私たちは、こうした忌まわしい過去にその都度、引き戻されるだけでない。
過去におけるそうした構造的な暴力から目を背ける現在の私たちの在り方、過去と向き合うことを拒む私たちの在り方が、過去と現在の往還に上書きされる。

歴史とは、現在が過去を語ることである。
いつまでも変わらぬ語りということはあり得ない。
常に新たな語りがなされ続ける。
語り直しの連続である。
大学の考古学研究室や博物館の収蔵庫から、人々で賑わう「民族共生象徴空間」から1kmも離れた閑散とした「慰霊施設」から、「語り直せ」と語られている声を聞き取らなければならない。

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