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佐藤2017『死者と苦しみの宗教哲学』 [全方位書評]

佐藤 啓介 2017『死者と苦しみの宗教哲学 -宗教哲学の現代的可能性-』南山大学学術叢書、晃洋書房

「…本書が考える現代における宗教哲学とは、宗教概念を捨て去るのではなく、宗教概念やそれに準じる諸概念が召還される(ないしは召還されてきた)であろうような「強度をもった」人間経験において、なぜそうした希求が起こるのか、その構造は何か、一体何を求めているのか等々、そうした問いを宗教的言説と哲学的言説の双方を参照しながら考察することである…」(4.)

全く未知の領域において、自らの痕跡研究がどのようにビルトインされているかを確かめることになる。

「確かに、伝統的な宗教教義や神や仏を考えるのではなく、私たち人間にはよく分からない多くのさまざまな他者を思惟する営みを「宗教哲学」という語で形容するのは、語の慣用的な用法からすれば不適切なのかもしれない。しかし、少なくとも、近代に出自をもつがゆえに二重の遠心運動(哲学からの・宗教からの遠心運動:引用者)によって形成されてきた宗教哲学がこの現代に漂着した「一つの産物」として、そうした思惟の意義を認めることは許されるのではないだろうか。それは、思惟のうちに、思惟のフロントにおいて、多なる他性/他なる多性を絶えず切り開いていこうとする営みなのである。」(12.)

従来の営みの延長線上に何かを積み上げるのではなく、「哲学的知の臨界に接近する身振り」(5.)であろうことは、全体を通じて読み取ることができる。

「本書全体を通して、「死者」と「苦しみ」という、伝統的宗教言説によってはもはや意味づけられない、私たちの生にとっての(他者としての)「過剰」が、私たちの生を形成しているあり方の一端を示すことを試みるとともに、私たちがそこで何らかの他者に対して救いに似た何かをもとめたり、理由もわからないままに倫理的応答責任が芽生えたりする「宗教以前の情動」の発生の現場に降り立つことを試みたい。」(14・15)

ということで、「第二部 死者の記憶の場を考える」は「実験的性格が強い」箇所とされている。

「たとえば、都市空間の一角を埋葬空間として区切り、そこを「死者の空間」として堅牢に隔絶させることでよいのだろうか。だが、そうした行為は、私たち生者と死者とが徹底的な分離のもとにおかれるばかりか、死者の記憶の共約不可能性、不可知性、表象不可能性をきわめて単純な一元的理解へと貶め、かえって「分からないものとして分かる」「表象しえないものとして表象する」「記憶しえないものとして記憶する」ことになる。とするならば、どうしたらよいのか。
その手がかりをあたえてくれるのは、近年、美学の分野でG・ディディ=ユベルマンが着目する「痕跡」概念であり、またその思想的系譜の起源に位置するパース記号論の「インデックス」概念であろう。」(79.)

ということで、ようやく考古学的痕跡に辿り着く。

「世界におけるそのような死者の場を描く作業において、本章で手がかりとしたいのが、考古学という学問が教える知見である。しかも、それはフーコーがもちいたような比喩的な意味での考古学ではなく、文字通りの学問的ディシプリンとしての考古学である。ただし、考古学が教える具体的な歴史的知識を素材としたいわけでなく、「事物と痕跡」を扱うことを課題とする考古学に働く「思考法」に、死者について考えるなにがしかのヒントを求めようというのが、本書の目標である。」(86・87)

ということで、「考古学が教える具体的な歴史的知識」である第1考古学ではなく、「考古学に働く「思考法」」である第2考古学が登場することになる。
この部分(「痕跡と物質と動作の連鎖」)については、以前に原著論文を紹介した際に若干の感想を述べたことがあった。

私たちが生きている社会は、<もの>に囲まれている。<もの>なしには生活できない。その<もの>たちには、無数の痕跡が記されている。<もの>に記された痕跡を読み解くこと。これが考古学である。

「…筆者は宗教哲学研究とは別に、学生時代の縁から、考古学という学問分野にもなぜかかかわりを持っている。実態は、多くの考古学者たちから耳学問的に知見を学ばせていただいているだけだったのだが、「死者の記憶の場」というテーマを自分の研究の主題として設定したころから、自分のなかでも接点があるとは思っていなかった宗教哲学研究と考古学的知見とが結びつくようになっていった。」(210.)

「学生時代の縁」というのは、どうやら「発掘のアルバイトをしていた経験」(佐藤2018「討論 考古学と哲学」『現代思想』46-13:8.)らしい。
何と素晴らしいアルバイトだろう。

「私は、(中略)哲学が考古学から学ぶことがもっとあってよいのではないか、とずっと考えてきました。(中略)そういう可能性はもっとあるのではないか。でも考古学側からは「理論を教えて」と言われるばかりです。もっと考古学の議論を外に開いたほうが面白いのではないかとずっと思っていたのですが。」(同上:9.)

ここには、「ニッチ構築理論」とは無縁な世界がある。


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