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中尾2021「考古学と進化論」 [論文時評]

中尾 央 2021「考古学と進化論 -物質性とニッチ構築-」『現代思想』第49巻 第12号、進化論の現在 -ポスト・ヒューマン時代の人類と地球の未来-:23-30.

2年前に大正大学で開催された日本旧石器学会シンポジウム「旧石器研究の理論と方法」でお会いして以来である。

「両者(考古学と進化論:引用者)を、現状でお互いにとってもっとも違和感なく結びつけるであろう二つの議論」として物質性(materiality)とニッチ構築理論(niche construction theory)が紹介されている。
まずは、物質性を巡る議論について「たいした関心もない」(23.)としつつ、以下のような事柄が述べられる。

「「われわれは土器にはこのような文様を施す集団であり、この集団に属す限りは土器に対してこのような文様を施すべきである」という規範が作り出される(e.g. Tomasello 2016)。そしてこの規範が、さらには集団としてのアイデンティティに結びつき、集団の結束度(≒さまざまな文化の類似性)を高めることにつながっていくこともある。」(24.)

最近どこかで、同じような文章を読んだな、と記憶の糸を手繰り寄せる。

「…”土器製作とは、土器製作者の「出自」を表現した(表現し続けた)行為、土器製作者の「出自」を差異化して製作した(製作し続けた)行為である可能性があるのではないか。つまり、土器づくりとは、そもそも、出自を異にすることを確認する行為を併せもつものなのではないか”」(加納 実2021「堀之内1式土器の個体別系統分析」『考古学者の思考法』:196.)

どうも本論で述べられてる物質性(materiality)を巡る議論と私がイメージする人類学的な物質性研究、例えば古谷ほか2017奥野・石倉編2018あるいは古谷2020とはかなり隔たりがあるようだ。

二つ目のニッチ構築理論については、「たいした関心もない」とは記されていないので、「多少の関心」はあるのだろう。

「大雑把な言い方をすれば、生物体が環境に働きかけ、環境を作り替える(すなわち、ニッチを構築する)ことによって選択圧そのものを変えてしまう、というものである。」(25.)

大雑把すぎて、良く分からない。
スズメバチの幼虫は巣の中でしか成長できないことが事例として示されているが、良く分からない。
類書を見てみよう。

「ニッチ構築から派生する主な結果は4つある。ニッチ構築は、(1) 生態系を通して、エネルギーと物質の流れの一部をコントロールし(生態系エンジニアリング)、(2) 選択的環境を変化させて、重要な進化上の結果をもたらす可能性のあるフィードバックを生じさせ、(3) 変更された選択圧という生態的形象を、子孫の集団に対して創出し、(4) 生物と環境との動的な適応的適合に寄与できる第2のプロセスをもたらす。次に、これらの結果が3つの生物学的理論の領域、すなわち進化理論そのもの、進化理論と生態系生態学との関係、進化理論と人間科学との関係におよぼす波及的影響について考える。」(F.John Odling-Smee et.al.2003 佐倉 統ほか訳2007『ニッチ構築 -忘れられていた進化過程-』共立出版株式会社:2.)

「ニッチは「生態学的地位」ともよばれ、どのような環境(たとえば草原)に生息しているかだけでなく、その植物網の中での位置づけや、他の生物との相互作用も含む概念である。生物は、環境から影響を受けるばかりでなく、ときに自分のまわりの環境を変化させる。そのことが、自然選択のありようを変化させることもある。ヒトのニッチ構築で最も有名なものの一つは定住と農耕だろう。定住と農耕は、人類史における画期的な出来事であるが、繁殖に適した環境を蚊に提供するという効果ももたらした。繁殖した蚊は病気を媒介し、ヒトにとっての脅威となった。つまり、ヒトをとりまく自然環境が、農耕の開始によって変化してしまったのである。すると今度は、この新しい環境に適応するように、ヒトの側で遺伝的進化が起こる。蚊によって媒介される病気に抵抗性のある遺伝子が選択されていったのである。」(田村 光平2020『文化進化の数理』森北出版株式会社:110.)

これらも分かったようで、良く分からない。
新型コロナウィルスも不織布マスクもエクモもパルスオキシメーターもアクリル板も、みんなニッチ構築なのだろうか。

「たとえば教師になる熟練した製作者が、未熟な若者を周りに集めて、その前で石器を製作するだけでも、若者にとっては非常によい学習機会になるだろう。こうした学習を通じ、複雑な文化やさまざまな規範が世代を超えて継承されてきたのかもしれない。
このように、ニッチ構築理論はさまざまな形で考古学にとっても有用な理論である。」(26.)

何でこんな当たり前のことをわざわざ何とか理論に結び付けなければならないのか、考古学にとってどこがどのように有用なのか、全然分からない。

「人の赤ん坊は、道具を使ったり作ったりする方法を、かいこがまゆを紡ぐ方法を知っているようには、本能としてもち合わせていない。人間の赤ん坊は、親や目上の者たち、つまり自分が生まれた社会に教育されなければならない。50万年前の最初の標準的なアブヴィリアン握斧以来、どんな道具を作ったらよいか・どのようにして作るか・作るのに最適な材料は何かといったことを、社会は指図しつづけてきた。世代から世代へと社会の習慣はゆたかになり、社会的に容認された標準型式を何千例となく生み出してきた。考古学でいう型式とはまさにそうしたものである。」(V・G・チャイルド1964『考古学の方法』:20.)

少なくとも「日本考古学」は、こうした文章を踏まえて、この半世紀余りを歩んできたのではなかったか。

「たとえばJohnson(2020)というある種の教科書的な書籍で、進化論は二章に亘って議論されているものの、ここではまだ進化論的なアプローチが考古学・人類学の中で非常に 'controversial' なものとして位置づけられている(Johnson2020, p.222)。」(27.)

折角、最新の文献を紹介していただいたのだが、「参考文献」にJohnson(2020)が見当たらず、詳細を確認できない。
もしかして1999年に第1版が出版されて、2010年の第2版の日本語訳が2017年に刊行された、ある事情で有名なあのマシュー・ジョンソン『入門 考古学の理論』(第一企画)の第3版のことだろうか?


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