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井野瀬2021「コルストン像はなぜ引き倒されたのか」 [論文時評]

井野瀬 久美恵 2021「コルストン像はなぜ引き倒されたのか -都市の記憶と銅像の未来-」『歴史学研究』第1012号:41-50.

3か月前に開催された「今こそ問う 朝鮮文化財の返還問題」における発表で言及したコルストン像が取り上げられている。
私にとって正にタイムリーな論考である。

アメリカ・ミネアポリスでジョージ・フロイドが警官による頸部圧迫によって命を奪われてから2週間後の2020年6月7日に、イギリス西部の港町ブリストルで熱心な慈善活動家として知られていたエドワード・コルストンの銅像がBLM抗議デモの参加者たちによって引き倒され埠頭から海に投げ込まれた。

「なぜコルストン像は引き倒されたのだろうか。それは、「コルストン像がなぜ建てられたのか」という問いと表裏一体で考える必要があろう。銅像とはその設置を決めた当時の人びとにとっての集合的記憶の問題であり、それを倒そうという行為自体が、その集合的記憶に対する異議申し立てだからだ。」(43.)

コルストン像が建てられた1890年代は、イギリスで労働争議が頻発し階級間格差が顕著になった時代であった。そうした人びとの不満を和らげるために、町の発展に尽くした慈善家の顕彰、博愛主義の称揚が必要とされた。

「博愛主義」とは、何だろうか?
「博愛主義(Philanthropy):人種的偏見や国家的利己心を捨てて人類全体の福祉増進のために、全人類はすべて平等に相愛すべきものであるとする主義」(広辞苑)

コルストンがブリストルに寄付した多額の資金はイギリスにおける奴隷貿易を独占して莫大な利益を得ていた王立アフリカ会社副総督としての立場によるものであった。
彼が在職中にアフリカからアメリカに送られた奴隷は、子供1万2000人を含む8万4000人にのぼり、その内の1万9000人は移送中に死亡した。
食事も水も満足に与えられず不衛生で狭い船内に押し込められて、病人や衰弱した人は生きたまま海に投げ捨てられた。
健康な積み荷を守るために病気の積み荷を投棄することは、船長の権限であった。

コルストンを博愛主義者として称揚した人々の博愛主義すなわち「人類全体の福祉増進」には、黒い積み荷(ブラック・カーゴ)である有色人種は含まれていなかった。

「1990年代以来、「博愛主義者か、奴隷商人か」というコルストン像をめぐる論点は変わっていない。変化したのは、それを議論するコンテクストである。奴隷貿易廃止200周年の2007年、その10年後の2017年にも倒れなかったコルストン像が、2020年、アメリカ発の運動で倒れたという事実は、議論のコンテクストが、イギリスという国家、あるいはイギリスが「帝国であった過去」を超えて、グローバルなものへと再編されたことを意味しているのではないだろうか。しかも、このグローバルな議論への再コンテクスト化は、コルストン像をイギリス帝国の枠組みで捉えてきた従来の見方を超えるものである。2020年の抵抗運動の主役であった若者たちは、肌の色を問わず、コルストン像をめぐる従来の議論のあり方に対して、異議申し立てをしたのではなかったか。」(47-8.)

コルストンは博愛主義者でもあり、かつ奴隷商人でもあったのだ。
その博愛主義は、本来の意味ではなく、偏った博愛主義であった。
130年という年月を経て、本来の意味を取り戻したのだ。

6月26日に「変容するメッセージ」という項目でコルストン像と共に取り上げたのは、1988年に設置されて2015年に撤去された福島県双葉町の「原子力 明るい未来のエネルギー」というメッセージ・ボード、そして1940年に建立されて1946年に一部撤去、しかし1964年にはオリンピックを口実に元通りに復旧してしまった宮崎県の「八紘之基柱(八紘一宇の塔)」であった。
「八紘一宇」という侵略戦争時のメッセージについては、現在もほとんど「変容」していない。
2015年に元タレントの国会議員は、言及する必然性のない文脈において「八紘一宇」は大切な価値観だの公正の理念だの人々を救済するスローガンだのと発言しながら、未だに議員を続けている。

公共空間におけるモニュメントの意味、日本における集合的記憶、議論のコンテクストが問われている。

銅像は建てるより、撤去する方が大変である。
異国の文化財も持ってくるより、返す方が大変である。
問題の根源は、<もの>を見る眼差し、私たちの欲望である。


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