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土屋2017『市民参加型調査が文化を変える』 [全方位書評]

土屋 正臣 2017『市民参加型調査が文化を変える -野尻湖発掘の文化資源学的考察-』美学出版

「本書は、発掘調査の持つ社会教育的な意義の検証を通じて、埋蔵文化財行政の望ましい方向性を提示することを目的とする。この論文の問題意識は、筆者の経験に基づいている。筆者は、大学で考古学を専攻した後に、基礎自治体の文化財保護行政に関わることになった。その過程で考古学研究と文化財保護行政とは全く異なる次元にあることに気がついた。前者はあくまで真理を探究する学術研究であり、後者は行政の範疇にある。特に、同じ発掘調査という手段を必要としてはいても、学術上の成果を生み出すことを目的とする学術発掘と、行政が主に開発事業に伴って破壊される遺跡を記録として保護する行政発掘とは、その目的や意味が全く異なる。記録保存のための発掘調査は、行政施策として実施する以上、結果的に住民の福祉の増進を図る(地方自治法)ためのものでなければならない。」(8.)

埋蔵文化財行政は教育委員会マターであるにも関わらず、「教育とはほど遠い状況にある」。
教育というよりは、「土木行政に近い状況が生まれている。」(9.)

全くその通りである。
鋼板塀に囲まれた現場で、重機とヘルメット姿の人々が動き回っていれば、誰でも工事現場と思うだろう。
かつて幼稚園に隣接した現場で、塀越しの園児から「工事現場のおじさ~ん」と呼びかけられたことがあったが、園児だけでなく、通りすがりの誰もがそう思うだろう。

こうした現状から、いかにして「発掘調査の持つ教育的意義」を取り戻していくことができるか。
筆者は、行政が市民を教え導くという旧来の社会教育モデルではなく、市民と共に新たな知を作り育てるという市民参加型の発掘調査であることに現在の閉塞状況を打破する答えを見出している。
そのモデルとして取り上げられるのが、1962年の第1次発掘から2012年の第19次発掘に至る半世紀に及ぶ野尻湖発掘である。
前史としての花泉・男女倉、地学団体研究会の果たした役割、そしてどのような人々がどのような関心から参加していたのか、中学・高校の郷土クラブから家族単位という経緯・変遷が詳細な分析をもって示されている。

私も大学時代の同級生が野尻湖に関係していたようで身近に感じてはいたが、本書を通じて初めてその全貌を認識し得たというのが正直なところである。
しかし「日本考古学」という世界で、野尻湖はどれほど評価されてきただろうか。
例えば、10年ほど前から考古学や遺跡発掘と地域社会の関係を問う「パブリックアーケオロジー」が提唱されてきたが、そこでも「月の輪」は語られても「野尻湖」はスルーされてきた印象がある。
なぜだろうか? 単に党派性の問題では済まされないだろう。

いろんな要素が絡み合っているだろうが、一つは野尻湖の発掘が考古学単独ではなく、地質学・地学主導であったことも起因しているだろう。しかし野尻湖がその継続性・学際性・大衆性といったあらゆる面において日本における「パブリックアーケオロジー」の代表例であることは、誰しも否定できないのではないか。

大学主体の学術調査から、市民を巻き込んだ大衆発掘が定着せずに、任意団体である遺跡調査会を経由して、財団方式の行政発掘からさらに民間発掘会社へと至っている歴史的経緯の分析が必要である。
一つ大きな分岐点となったのが、発掘という行為に込められた意味の変貌ということではなかったか。
すなわち、発掘の学習から労働へという変質である。

私が初めて発掘調査に参加したのは、あれは現場のラジオから甲子園での桜美林の活躍が報じられていたから1976年の夏のことであった。今から45年も前のことである。
中学校の社会部考古班に所属していて、顧問の先生に引率されて、松戸の旅館に宿泊しながら、貝塚の調査に参加したのであった。初めての発掘、鮮烈な思い出である。
しかしそれから5年後、大学に入学して最初の考古学の授業で現場を紹介されて参加したのが、世田谷区のこれまた貝塚の調査だった。
この5年の間に、大きな変動が生じていた。お金を払ってあるいは宿泊代と交通費ぐらいは出るが基本はボランティアという形態から、日給が出るアルバイトの一種へと劇的な変化を遂げていたのである。

お金が出る「大衆発掘」は、有り得ないだろう。だから地域住民のおにぎりの差し入れや地域住民への広報活動も無償労働が原則である。しかし同じ肉体労働なのに、こちらは自腹をきってのボランティアなのに、あちらは日当がでるアルバイトでは、こちらに来る人はよっぽどの人でなければ続かないだろう。

これが、地学・地質学と考古学との違いである。
すなわち露頭調査といった行政調査はないが、ボーリング調査はすべて民間委託である。

「この問題の根源は、そもそも誰が、どのようなプロセスで文化財を文化財として扱っているかという問題に尽きる。例えば、埋蔵文化財の場合、発掘調査という行為を通して、地中のモノを掘り起こす中で解釈し、その歴史的・文化的な価値を評価することで埋蔵文化財となる。こうしたプロセスを経なければ、埋蔵文化財は単なるモノにすぎない。調査という行為は、対象を社会や文化といった文脈の中に位置づけるものである。聞き取りによる民俗調査も、各地の蔵に眠る古文書の調査も基本的には同様である。それゆえに、調査の手法や対象を選択し、調査成果を社会や文化の文脈に位置づける調査主体が、調査内容にとって重要な意味を持ってくる。埋蔵文化財の場合、発掘調査主体である行政の判断、厳密に言えば、調査担当者の判断が埋蔵文化財の持つ価値を決定づけている。」(17-18.)

最近まさにこうした経験をしている。
最初は単なるお茶碗やガラス瓶のかけらに過ぎなかった<もの>たちが、様々な形態の情報、協力者による地元の職業別明細図における薬瓶に記載された医院の教示、近隣住民の方から薬瓶記載医院の縁故者がおられることの教示、法務局に保管されている旧土地台帳や旧公図における隔離病舎の確認、ガラス瓶に記されている様々なメーカーのお客様問い合わせ窓口からの応答など様々な情報が一つになりながら、曖昧模糊としていた100年前の発掘地での人間模様が少しだけ浮かび上がってきた。

著者の問い掛ける「行政調査に市民が主体的に関与することはできるのか?」「地域に根差した共同的な知を形成し、共に学びあうことはできるのか?」という問いにすぐさま答えることはできないが、たとえ実態は鋼板塀が張り巡らされて、毎日ヘルメット姿で従事しなければならないとしても、できるだけ敷居を低くし社会との窓口を多様に設定して、少しでも「市民参加型」という在り方に近づきたいと願っている。
発掘という考古学に欠かせない営みの面白さ、楽しさを知ってもらえる市民が、作業員として参加している人たちだけというのは、余りにも悲しいから。

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