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『向ノ原遺跡 第3次調査』 [考古誌批評]

2020『向ノ原遺跡 第3次調査 -都立高井戸公園の整備に伴う調査-』東京都埋蔵文化財センター調査報告 第358集

接合資料を重視する接合主義の観点から読む。
結論を先に記すならば、いろいろ記されていないことが多い、ということになろう。

「接合資料とその構成遺物については、以下の方式で番号を付した。「石器群-接合資料番号-個体-剥離順」
また、折れ面接合した資料には打点に近いほうから、「①、②・・・」と番号を付した。例えば、1群、接合資料1、個体A、剥離順1の資料の場合「1ー1-Aー1」となり、剥離順1が2点の石器によって折れ面接合した剝片で打点に近い資料であったとすると「1-1-Aー1①」となる。」(40.)

これでは、この接合個体番号からこの接合個体の石材を読み取ることができない。
なぜ接合個体番号に、石材コードを組み込まないのだろうか。
それぞれの接合個体がチャートなのか黒曜岩なのか頁岩なのかというのは、欠かせない基本的な情報ではないのか。

「遺跡から検出される総ての石核・剝片類は、「資料番号」として整合的に表示することが可能となる。つまり、「C‐1‐2‐3」とは、「チャートを石材とした母岩資料番号1に含まれる接合資料番号2に接合している3番目の剝片」を指すことになる。」(五十嵐1998「考古資料の接合」『史学』67-3・4:119.)

今から20年以上も前のことである。
さすがに無力さを痛感する。

読み進んでいくと、さらに不可解な事柄に遭遇する。
すなわち接合資料1-2、接合資料1-3ときて、接合資料1-4の説明がなく、接合資料1-5となっているのである(61.)。なぜ接合資料1-4の説明がないのか?
それは「第34表 接合資料一覧」を見ると氷解する。すなわち本書では接合個体のすべてが掲載・記述されているのではなく、「石器群の石器製作作業の特徴を示す資料」(40.)が選択されているのである。
総計で56個体(1群:44個体、2群:9個体、3群:3個体)の接合資料が得られているのだが(それすらも記載されていない)、掲載対象となっているのはそのうちの21個体(38%)である。その選択基準も剝片2点の接合個体(1-3)が掲載されているかと思えば、石核を含む8点の接合個体(1-9)が非掲載だったりする。

「石器の接合資料は、非掲載資料も含めて全て結線したものを石材別分布図の平面・垂直分布図に示し、視覚的に集中部での接合状況を表現することに努めた。結線は、剝片剥離の順番で行っている。礫の接合状況についても同様である。」(39.)

例えば33個体の接合資料が含まれる「BL9」の石器分布図(第33図:67.)では、石器密集部周辺に分布する5個体を除く28個体の接合線の密集状況が描かれ、それぞれの接合線に接合個体番号が記されているが、読者はこの図から接合個体ごとの接合状況や剥離順序を読み取ることが出来るだろうか?
「視覚的に集中部での接合状況を表現すること」はできたとしても、それぞれの接合個体の分布状況を読み取ることはできず、せいぜい「いっぱいついているね」といった感想を抱くのが関の山である。

こうした困難さは、「BL9」の礫分布図(第34図:68.)でも同様である。
そもそも本書では、総計で何個体の礫接合個体が得られたのか、その総数がどこにも記されていない。

「旧石器時代の集中部について、以下のように定義した。
遺物集中部:石器や熱を受け変色した礫を人の生活痕跡によって残された遺物としそれらが平面的なまとまりを持つ集合
石器集中部:遺物集中部内の石器が平面的なまとまりをもつ集合
礫集中部:遺物集中部内の平面的なまとまりを持つ礫や礫片の集合」(37.)

「遺物集中部」については「カーネル密度推定」により15ヶ所の単位が設定されている。しかし石器集中部あるいは礫集中部については、全部で何ヶ所の単位が設定されたのか、どこにも記載がない。
そもそもどのように設定したのか、本当に設定したのか、それすら覚束ない。
例えば「BL9」では「石器集中部は3箇所、礫集中部が5箇所認められた。(中略)これらの集中部間で石器および礫の接合関係が認められた」(56.)と記されているが、それぞれ何個体の集中部間の接合個体が確認されたのか、それぞれどのような内容なのかといったことに対する説明はない。

「石質分類は、主に母岩別資料化が難しい黒曜石を対象として北海道の石器群に用いられる方法で、色調、模様、流理構造、夾雑物、光沢の有無、風化、自然面などの石質を単位に行なわれる分類である。この分類はおおまかなものであり複数の母岩が含まれることも想定されるが、遺跡内における大略的な石器製作作業内容を把握するためには有用である。従来の母岩別資料に基づいた分析には「母岩認識」の問題点の指摘(五十嵐2002)もあることから、本報告でもこの問題を意識して石質分類を採用している。」(38.)

母岩識別よりも「おおまかな」分類である「石質分類」を採用すれば、どのように「母岩認識の問題点」が克服されるのか、さっぱり理解できない。
「石質分類」は「遺跡内における大略的な石器製作作業内容を把握するためには有用である」とされているが、本当にそうなのだろうか。
「まとめ」(493-494.)において「大略的な石器製作作業内容」として記されているのは、「石質分類」による成果ではなく、すべて「接合資料」による成果である。

調査の成果に何ら反映することのない「石質分類」を行なう余裕があるのならば、一個体でも多くの接合資料を掲載するべきではないのか。

本書を読みながら、いろいろなことを考えさせられた。
本書の関係者からは、第1次調査区(重住・中津1985『向ノ原遺跡』)の位置が本書で明示されていないのは第1次調査の考古誌から座標値を読み取ることができずに正確な位置を示すことができなかったことに起因するとか、あるいは調査担当者の移動によって整理作業の過程において多くの困難が生じたことなどを伺うこともできた。
それにしても…である。

考古誌批評に限らず、何らかの批判的な作業をする場合は、「何が書かれているか」ではなく「何が書かれていないのか」に注目しなければならない、というのは、ある種の鉄則であるが、そうしたことなども改めて痛感する。

タグ:接合 考古誌
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橋本

報告しなければならないことは決まっているのでしょうか。あるいは共通認識があるのでしょうか。
by 橋本 (2021-04-06 14:42) 

五十嵐彰

「報告しなければならないこと」は何か、本来ならばこんなちっぽけなところでボソボソ論じるのではなく、学会などで多くの人の知恵を集めて議論して一定の共通認識を形成すべきとかねてより考えていますが、そうした意見に賛同される研究者は殆どいないというのが悲しいかな「日本考古学」の現状です。
by 五十嵐彰 (2021-04-06 18:42) 

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