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加藤2020「アイヌ民族と先住民考古学」 [論文時評]

加藤 博文2020「アイヌ民族と先住民考古学」『世界と日本の考古学 -オリーブの林と赤い大地-』常木晃先生退職記念論文集:533-544.

「アイヌ民族の遺骨返還問題において最も影響を受けるのは、人骨を直接研究資料として扱う自然人類学者である。しかし、考古学者にとっても墓や埋葬事例は過去の社会復元をおこなうための重要な研究資料である。アイヌ民族の祖先の遺骨や副葬品の返還問題は、単に現在、大学や博物館に保管されている遺骨や副葬品に留まらない。ここで問われている問題の本質は、研究と先住民族との関係性であり、調査過程の手続き論を含んでいる。つまり、検討されるべきは過去に起きた問題ではなく、これからの調査研究のあり方に関わる問題である。」(537.)


2021年2月21日(土)23:00-24:00にNHKのETV特集で「帰郷の日は遠く -アイヌ遺骨返還の行方-」と題する番組が放送された。民族共生象徴空間(ウポポイ)を巡る様々な問題が紹介されていたが、印象に残ったのは東京大学からある地域に遺骨が返還された際の一コマである。

雨が降る当日、返還の会場に車で到着した東京大学の人類学者が木箱から取り出した頭骨には何と人類学教室で保管されていた状況そのままに標本番号が記されたラベルが括り付けられていた!
墓地から奪い去られた祖先の遺骨の帰郷を心待ちにしていた人たちは、自らの祖先の遺骨が動物標本そのままにラベルが括りつけられた遺骨を受け取って、果たしてどのような心境だっただろうか。
遺骨を渡した人類学者にNHKの記者がインタビューをしようと話しかけたのだが、彼は「いや、今はお話しできません」とか言ってそそくさと車に乗って立ち去ってしまった。テレビの映像は、小さくなっていく車の映像を映し出していた。

「黒田 今おっしゃったのは、証人はアイヌの文化の中で育ちながら、ついにアイヌであることに対する反発というか、それから遠ざかろうとした時期があったということですね。
萱野 はい。
黒田 その根本理由というのは、やはり今おっしゃった差別ということですか。
萱野 そうです。差別もあるし、学者が来てですね、根ほり葉ほり聞くということ、はっきり言わせてもらえば、来て朝から晩までじゃまする。そうすると、家族中気を使います。そして、何日も何日も来ていて、ろくにお礼をするわけでもなくて、来た本人達は功成り名を遂げて、博士になり、あるいはいろんなとこへ就職もどんどんいいほうへ行って、本人達はうんと楽にはなっていくけども、じゃまされて手間暇かけさせられたアイヌには何一つそれらしいこと、学者は報いをしてくれませんでした。そういうことに大きく反発はもっていました。
黒田 先ほどお宅の大事な物が持ち去られたということを伺いましたが、そのほかにもアイヌ研究家達がアイヌの文化遺産などを持ち去るといったことがありましたか。
萱野 そうですね。文化遺産と言えるかどうかわかりませんけれども、昭和二十二、三年頃に、私の目の前、いつも子供が走って行ける場所、そういうとこにあった墓を掘っていたのも、見てよく知っています。
黒田 それは誰ですか
萱野 堀りに来たのは、はっきり言いますけど児玉作左衛門先生。その時私の父はまだ四十代のほんとに酒の好きな男だから、そういうとこへ行けば酒の一っぱいも飲めるし、日当も多少もらえたらしいんですけども、絶対近寄りませんでした。父は、恐ろしいことだと、墓あばくというのは、アイヌにとってはこんなおそろしいことはない、絶対にそこへ行ってはいけませんと。覗きに行っても、そばへ近寄ってもいけませんと。」(1988年2月23日「証拠調 萱野茂証人」『アイヌ肖像権裁判・全記録』現代企画室編集部:85.)

「先住民族とともに研究するという姿勢は、実際に容易に実現できるものではない。新たな関係の構築には、まず過去の研究のあり方を批判的に検証し、これまでの先住民族と研究との関係を真摯に反省することが不可欠である。研究者は、真摯な反省と信頼の回復からしか新たな関係が生まれないことを自覚する必要がある。」(537.)

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橋本

以前、五十嵐さんから、墓は遺構なんでしょうかと聞かれましたね。埋葬された人、残された人にとって遺構になるときはくるのでしょうか。発掘調査で、江戸から現代にいたる墓を掘る機会が増えてきて、より生々しく感じています。手続きとか、新たな関係とかどうなんでしょうね。
by 橋本 (2021-03-22 12:48) 

五十嵐彰

最近、新しい時代の<もの>たちを相手にしていますが、改めて新たな問題性に気付かされています。あらゆる土地痕跡を相手にするのが考古学なのですから、それはいいのですが、新たになればなるほど直面する問題、それは集団ではなく個人が現われるということです。もっと言えば「個人情報」との兼ね合いです。旧石器時代や縄紋時代では気にすることもなかったことです。なんでもかんでも明らかにすればいいといった研究者エゴは通用せず、明らかにしたくない人もいて、そうした人たちに対する配慮が必要となります。何を良しとするのか、被災遺構の保存問題にも通じる問題です。
by 五十嵐彰 (2021-03-23 17:10) 

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