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小野2020『考古学ガイドブック』 [全方位書評]

小野 昭 2020『ビジュアル版 考古学ガイドブック』シリーズ「遺跡を学ぶ」別冊05、新泉社

「歴史を知る手段としての考古学は、年代測定の方法の進歩や他分野との協同によって多様化していますが、私は、中心となる考古学の方法的な核は堅固にあると見る立場です。一言でいえば、遺物の形と組み合わせによる編年と分布、発見される地層と遺物の関係などを明らかにする19世紀中ごろに確立した方法は、時の経過にも風化せず中心にあるということです。」(5.)

最近は暫く途絶えていた考古学の概論書である。
A5版、93ページ、見開き2ページの右から左に読む縦書き文章に見開き2ページの左から右に読む横書きカラー図版がセットとなって、21の主題について語られている。
限られた枠組みのなかで、協力者の応援を受けつつ著者らしさが表現されている。

「周知の埋蔵文化財包蔵地 …考古学の遺跡、考古資料とほぼ同義である。」(9.)
決して「同義」ではない「包蔵地」と「遺跡」、「ほぼ」というニュアンスが問題である。
何が、どのように、どれほど違うのだろうか? 
これは、考古学という学問にとって看過できない重要課題である。

「…古墳時代の編年は「百年」単位で、…」(26.)
「古墳時代などでは「5世紀の第1四半期」などと25年ごとに考えることが普通です。」(28.)
どうも語られている内容が違うような気もするのだが。

「写真に写る遺物は、ほぼ完形の須恵器や土師器の集積。一括遺物として同時期性を示している。遺物の同時性はこうした一括して出土した事例をもとに、周辺地域で出土した遺物との型式学的な比較から編年表に位置づけられている。」(31.)
ここで述べられている「同時期性」あるいは「同時性」とは、どのような「同時」なのだろうか?
こうした疑問は、すぐさま次頁にて示されている。
「「同時に存在した」ってどういうこと?」(32.)
ところが、この疑問は読み進んでも、なかなか解消しない。

「未来の考古学者は、発見された物の編年研究やその他の研究成果から、これが食卓の跡だとわかるでしょう。でも、いつのことかわかるでしょうか。「一緒に発見されるセット関係では、その中の一番新しい遺物でその時期を判定する」というのが考古学の方法です。新しい時代に古い物が残ることはあっても、古い時代に新しい時代の物が存在していることはありえないからです。だから、この食卓が埋もれた時代は、伝来のミルクポットではなく、ガラス製のコーヒーサーバーの時代より古くはならないことがわかります。」(41.)

新潟県南魚沼市の六日町藤塚遺跡の土器集積遺構の「同時性」も、後世に発掘された「私たちの朝の食卓」の「同時性」も、見出された<もの>たちの廃棄時の同時性であり、製作時の同時性ではないことは明白である。
考古資料について製作の同時性と廃棄の同時性の違いが指摘されたのは、今から半世紀以上も以前のことである(鈴木 公雄1969「土器型式における時間の問題」『上代文化』第38号)。あるいはモンテリウス以来。
考古資料の時間性について述べる際に、限定詞が付されない単なる「同時性」という語句は使えないのではないか。

「21 遺跡は誰のものか」という箇所の「21 現代社会と文化財」において「武力紛争の際の文化財保護議定書」(ハーグ条約)について述べられている(87.)。
それならば、やはり「文化財は誰のものか」として「文化財の不法な輸出入及び所有権移転を禁止し防止する手段に関する条約」(1970年ユネスコ条約)とそれに関わる日本所在の海外由来の文化財問題について触れることが、「日頃考古学に接するなかで浮かび上がる問いを、どのように現代社会との結びつきのなかでガイドできるか」という問題意識に相応しいように思えたのだが。

2001年に「破壊されたバーミヤンの大仏」の写真(86.)を見るたびに想起するのは、1995年に解体撤去された旧朝鮮総督府庁舎である。
あるいは宮崎県の「八紘一宇の塔」である。1940年に日本軍支配地域からの「献石」を基にして建設され、1946年には軍国思想の象徴として「八紘一宇」の碑文が撤去されたが、1965年に復元されて今に至っている。

「感情を移入して過去を抱きしめるのはたやすい。また人はそのように流されやすい。突き放すのは逆に難しい。問いは開かれ、多様な価値が投げかけられています。」(77.)


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