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松本2020「日本の博物館におけるジェンダー表現の課題と展望」 [論文時評]

松本 直子 2020「日本の博物館におけるジェンダー表現の課題と展望 -歴博展示に触れつつ-」『国立歴史民俗博物館研究報告』第219集:487-494.

「考古学的な研究成果を分かりやすく示すことは、教育効果を高めるうえで重要であるが、過去の人々の行動や様子を具体的に復元する際には考古学的な証拠が得られない部分についても推定によって補わざるを得ない。推定に任される部分は、時代が古くなるほど大きくなる傾向があり、そこに現代的な感覚や思考が投影される傾向がある。
復元展示におけるジェンダー表現の偏向は、現代のジェンダー認識に大きな影響を与えかねない深刻な問題である。過去の社会がどうであったか、という認識は、「昔からそうであった」として現在のあり方を正当化する根拠となる。一般的には、先史時代のジェンダーについては、漠然とした推測や思い込みで語られることが多いが、博物館における展示はそれを正当化する学術的根拠となりうる。復元画やジオラマのような視覚的表象は、非専門家にとっては文字で書かれた情報より理解しやすいため、影響力も大きい。そこに現代的なジェンダー・バイアスが投影されていれば、意図せずして現代のジェンダーのあり方を再生産することに貢献してしまう。過去の社会に関する視覚的表象は、絵本、イラスト、漫画やテレビ・コマーシャルなど、多様な媒体に存在するが、博物館展示は専門家が学術的な成果に基づいて製作したものとして信頼度が高く、社会的責任も大きい。」(487.)

2016年度から2018年度にかけてなされた国立歴史民俗博物館基盤研究「日本列島社会の歴史とジェンダー」の成果である。

「現在の社会はこうである」から「過去の社会もこうである」という無意識の投影、そうして形象化された「過去の社会像」が「現代の社会観念」を強化していく循環構造が指摘されている。こうした無意識を解明するのが、精神分析学である。

「国際的には、「ジェンダー主流化」が重要課題として掲げられ、社会におけるジェンダー平等が進み、ジェンダー視点に基づく歴史研究や博物館展示にも大きな変化が生じているのにたいして、日本ではなぜそのような動きが鈍いのかという深刻な問題にも眼を向けなくてはならない。
一般に、研究におけるジェンダー視点の導入は、それに取り組む研究者自身の立場を問うという「政治性」を伴う。一方、研究者であるとないとにかかわらず、多くの場合、ジェンダー意識は、私的な経験や性別分業をはじめとする諸規範によって内面化されており、その見直しは、研究や展示を行う研究者自身の価値意識を鋭く問い直すものとなり、種々の葛藤を伴う場合も少なくない。
また、それだけでなく、現代の日本社会が性差による差別を前提として組み立てられているという現実が、そこで働く研究者、職員の意識を規定するという側面も正視しなくてはならないであろう。」(横山 百合子2020「国際研究集会「歴史展示におけるジェンダーを問う How is Gender Represented in Historical Exbitions?」を開催して」同:420.)

「それはジェンダーに関わる問題です」という指摘から眼を背ける意識は、いったい何を守ろうとしているのだろうか?

「石棒と呼ばれる棒状石製品をどのように展示するのか、単なる見栄え以外にその根拠をどの程度示すことができるだろうか? いずれにせよどのような形であれ、展示しなければならないのだから意識しようとしまいと、そこに展示担当者の解釈が示されることになる。」(五十嵐2019「考古学における解釈のあり方について -緑川東を読み解くために-」『考古学ジャーナル』第728号:7.)

過去に対する論究ではなく、過去に対する論究のあり方を問うのが、第2考古学である。

「過去について学ぶことは、常にあるいは直接的に現在における実践と結びついているのである。過去のイデオロギーへの批判は直ちに現在のイデオロギーに跳ね返るものであるし、過去におけるジェンダーの役割を批判的にとらえるときには、研究の場や自分の性のあり方についての考え方に反映する。」(マシュー・ジョンソン(中島 庄一訳)2017『入門 考古学の理論』:171.)

「大形石棒の使用形態は樹立」という「石棒神話」を巡る言説は、「研究の場や自分の性のあり方」を検討するのに最も相応しいものであろう。

「これは大越愛子さんがおっしゃっていたことですが、男性中心的なアカデミズムは権威から権威へと引き継いでいく、系譜的でピラミッド的なかたちをもつのに対して、フェミニズムの思想はさまざまな立場が論争をしていくその連続体であると。特にジェンダーやセクシュアリティという非常に複雑な問題にかんしていろいろな人がいろいろなことを言っているというところにフェミニズムの魅力があると思うので、過剰防衛で内部批判を塞いでしまうと、もっとよくない状況になってしまう気がしています。」(菊池 夏野・河野 真太郎・田中 東子2020「分断と対峙し、連帯を模索する -日本のフェミニズムとネオリベラリズム-」『現代思想』第48巻 第4号、3月臨時増刊号 総特集 フェミニズムの現在、青土社:23. 菊池発言)

守ろうとしていたのは、現代の「日本考古学」そのものなのかもしれない。

「性役割だけでなく、ジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティについても、現代とは異なる多様なあり方が過去に存在したことについて意識的に検討することが必要である。性役割やジェンダー間の関係について考古学的に明らかにすることは容易ではなく、不明な点が多い。だからこそ、分からないところを安易に現代的ジェンダーや民族誌によって埋めてしまうことは、現代的ジェンダー観の再生産につながるだけでなく、研究の深化を阻害することにもなる。ヒトの社会・文化の多様性、ひとつの文化における個人の多様性を見据えた復元というのが、今後の博物館には求められるのではないか。真摯で科学的な研究が、よりよい復元には欠かせない。よりよい復元をめざす努力が、考古学という学問にとっても、社会にとっても、よい変化をもたらすのではないかと期待する。」(494.)

「真摯さ」とは何か、「科学的な研究」とは何か、「よりよい復元」とは何かについても、フェミニズム理論は深く探求している。

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