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田中2019『「共生」を求めて』 [全方位書評]

田中 宏(中村 一成 編)2019『「共生」を求めて -在日とともに歩んだ半世紀-』解放出版社

闘い続けてきた人へのインタビュー記事を一書にまとめたものである。こうした「闘い続けてきた人」に接すると、ただただ畏敬の念に打たれる。ポイントは、何に対して「闘い続けてきた」のかという点である。

著者の「闘い続ける」原点は、1960年代のアジア人留学生との出会いである。

「夏休みで私も帰省する。声掛けたら彼も来るって言うから、岡山の田舎に連れてって。田舎の村にインド人が来ることはない。同級生は結構いるし、ものは試しと思って、公民館で七、八人集まって雑談する場を設けたんです。それで懇談になって若い村の人が、「日本に来て一番驚いたことは?」と聞いたんです。そしたら彼は「天皇が健在で、首都東京の真ん中にあんな大きい居を構えていることです。私は、天皇はすでに退位しているか、どこかの離れ小島に隠居していると思ってました」って答えた。「だってあの戦争は多くのアジアの人びとが犠牲になったし、あなたたちも天皇の戦争でいろいろとひどい目に遭ったでしょ。皆さんの家族にも戦死した人がいるのでは? その責任を天皇が取らないのは理解できない。そうじゃないですか?」って。」(11-12.)

あるいは中国人留学生の話しである。
「田中さん、日本人は、歴史をどう学んでいるの。戦前の日本ならいざ知らず、戦後生まれ変わった日本で、なぜわざわざ伊藤博文をお札に持ち出すの。伊藤は、朝鮮民族の恨みを買ってハルピンで殺された人でしょう。日本で一番多い外国人である朝鮮人も、同じ千円札で、毎日買い物をするわけでしょう、随分残酷なことですよね。しかも、日ごろから政府を批判する文化人・知識人がどれだけいても、誰一人として伊藤の登場を批判しない。一億人が何を考えているのか、薄気味悪い」と言われたのである。」(266.)

福澤 諭吉も渋沢 栄一も大同小異である。

あるいはまだ分断状態だった南ベトナムから来た留学生の話しである。
「田中さん、東大生は超一流のエリートかもしれないが、われわれベトナム人留学生をつかまえると、フランス語で話しかけてくる。われわれが日本語できなければ何も言わないが、なに不自由なく話せるのに、である。ベトナム人がフランス語できるのは、植民地支配で強制されたからです。東大生は、植民地支配について、何も学んでいないのだろうか。ベトナム人にとっての「フランス語」の意味を知らないのだろうか。なに食わぬ顔して使うって、どういう神経してるのかと思うよ。田中さん、日本の将来が心配ですよ」と言うのである。」(268.)

私がまだ若かったころ、隣国のある程度の年配の方たちは皆日本語をしゃべることができた。だから隣国への旅行は他の国々への旅行に比べて気楽に行けるなどという会話が周りでなされていた。なぜそのようなことになっているのかという歴史的経緯や他者の痛みなどに一切思いを抱くことなく。そしてそんな大人たちの会話を、私もぼんやりと聞いていたような気がする。

問題の焦点は、あらゆる場面に顔を出す「国籍条項」である。「日本国籍を有しない者」を排除する欠格条項である。徐2010言うところの「国民主義」に関わる問題である。
「だからさ、ほんっとに無茶苦茶ですよ。法治国家じゃないもん。「おかしいじゃないか」っていろいろと指摘されたら、「ああ御免なさい」みたいにね、日本国籍を有する者に限るって最初に書いていたのを翻すという、とてつもないことが起きちゃう。「法の支配」もへったくれもないですよ。最高裁が好きなようにやってんだもん。それが「憲法の番人」として、裁判所の一番上で判断するんだから恐ろしいってことですよね。この国が、法の支配とか法治主義とかにどれほど反しているかっていうこと。国籍を切り口に見るともう、ボロボロとそういうのが出てくる。」(88.)

これは司法修習生として研修所に入所する際の差別的な「国籍条項」を巡るやりとりであるが、同じようなことは隣国の大法院判決に対する日本国政府の反応から現在の朝鮮高校の無償化排除に至るまで連綿と続いている。

例えば、外国人の教員採用試験における差別的な取り扱いを巡って。
「私は、名古屋の教育委員会と当時、いろいろとやり取りしたんですけど、教育委員会の教職員課長とかは、その時は行政マンだけど、ちょっと前までは教育現場で教員やってるわけですよ。それで私は、「ほいじゃあね、あなたが教師(理科だった)で現場にいる時に、朝鮮人は雇わないっていう企業があったとしたら、あんた差別はおかしいっつってやっぱり企業に言っていくでしょう、子どものために」。まあそりゃそうって言うわけです。「そん時に会社のほうで、だって教育委員会だって外国人はダメっつってんのに、何で俺たちが平等に扱わないかんのだっつったら、答えようがないでしょう」と言ったら、それ言われると困りますね、とか言ってたの思い出すします。やっぱ公的な機関の責任ってものを考えないかんですよ。それはやっぱり一番大きい問題だと思うよ。」(175-6.)

そして朝鮮学校の排除である。
「以前文部省の役人と大喧嘩した時に言いましたよ。「ソウルの高校を卒業してきた留学生は「大検」不要なのに、なんで親の勤務で東京に来て、東京の韓国学園に行った人は「大検」が必要なんだよ! ソウルの高校と東京の韓国学園の教育内容は基本、同じでしょ!」って。そしたら下向いて、「ダメなもんはダメなんです」って言うんだ。」(205.)

「それから政治の教育内容への介入をどこで叩くかという問題ですね。神奈川県が朝鮮学校で拉致の副読本を使えとか言い出して、今では朝鮮学校の教育内容に介入するのが当たり前になってるんだけど、教育関係の専門家は何故か何も言わないよね。私学の独立の問題は、学校制度の鍵ですよ。以前、何かの会議で同志社を卒業した女性と話したことがあって、彼女は神戸のミッションスクールの先生が決まっていた。そこに行った理由が、「私は「君が代、日の丸」が嫌いなので、それが一切ない学校を選んだ」って。つまりその学校は外からわかるくらい立場が明確なわけ、まさにそれが私学の教育内容における独立性の問題ですよ。」(240.)

私も子供二人の小・中・高の入学式・卒業式(12回)に一度も出席したことがない。どうせ不起立で目立つからやめてと禁じられていたわけである。娘が渋谷のミッションスクールに入って、初めて参列が許されたわけである。

「キーワードは「原状回復主義」です。旧植民地出身者の日本国籍を失わしめる時の日本政府の理屈は、「もし日韓併合なかりせば、朝鮮人であった人を朝鮮人として扱う」だったわけで、それなら言葉を奪われた状態を元に戻すのも「原状回復主義」。そこから枝川の朝鮮学校の保護、さらに「民族教育の保障」という理屈が出てくる。」(220.)
ここで、文化財返還運動との接点が見いだせる。
植民地支配がなされなかった場合の原状を回復するために、植民地支配によって日本にもたらされた文化財を返還しなければならないのである。

「日本は排外的とか自己中心的と言うけど、それ以前に私はこう思うんです。植民地が欲しかったけど、異民族を抱え込むと自分たちの単一性、民族性が崩れる。だから喉から手が出るほど欲しかったけど植民地支配をやらなかったというならわかる。ところが手を染めて異民族を支配した以上、それをどういう形で歴史のなかで消化していくかという課題です。文字通り「不可逆変化」だと思うんです。」(253.)

自らの欲望に応じて、ヒトもモノも隣国から無理やり持ち込んで、ちゃんと後始末をつけていない。

「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」
「われらはいずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」


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