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松島・木村編著2019『大学による盗骨』 [全方位書評]

松島 泰勝・木村 朗 編著 2019 『大学による盗骨 -研究利用され続ける琉球人・アイヌ遺骨-』耕文社

序言(3-8)は、一般財団法人 東アジア共同体研究所理事長という肩書の鳩山 友紀夫(由紀夫)である。

「私は2009年の所信表明演説において、「すべての人々が偏見から解放され、分け隔てなく参加できる社会、先住民族であるアイヌの方々の歴史や文化を尊重するなど、多文化が共生し、誰もが尊厳を持って、生き生きと暮らせる社会を実現することが、私の進める友愛政治の目標となります」と述べました。私は今、この演説には二点が欠けていたことを実感しています。一つはアイヌ民族だけでなく、琉球人も先住民族として加えていなければならなかったこと、二つめは尊厳を持って生き生きと暮らせる社会に留まらず、死してもなお尊厳を持って遇される社会を実現しなければならないことです。」(6.)

1929年1月、京都帝国大学医学部の金関 丈夫(1897-1983)は、沖縄の墓地(百按司墓:ムムジャナバカ)から地元の小学校校長や駐在所の巡査たちと共にビール箱12箱分の遺骨を運び出して京都大学に持ち帰った。
2018年12月、百按司墓から持ち出されて京都大学に保管されている琉球民族の遺骨返還を求める訴えが京都地方裁判所に提出された。

「金関が持ち去った人骨、並びに京都大学時代の彼の指導教員であった清野謙次の1500体もの人骨は、京都大学に現在も資料として所蔵されている。また20年程前から人骨からDNA採取ができるようになり、ヒトゲノム解析も行われ始め、植民地主義の暴力を背景に帝国の版図から集められた人骨は、今もなお重要な研究材料であり続けている。
自らの研究行為の歴史的な前提を問うことのないおぞましい姿は、いまも継続しているのである。研究機関の所蔵庫に収納され続けている人骨たちが示しているのは、問答無用の暴力が状況を支配した鳥居や金関の研究行為の現場が、今もなお、それが当たり前の風景のように自然化され続けているということである。だがしかし、そこには怯えや戸惑いがあり、敵意が充満し、「槍ぶすま」が準備されている。歴史は人骨の計測結果にあるのではなく、かかる「敵意を含んだ自然」とともにあるのではないだろうか。」(冨山 一郎「研究のおぞましさについて」:84-85.)

金関が沖縄の墓地から人骨を持ち去った1929年から9年後の1938年、師の清野 謙次(1885-1955)の研究室や自宅から京都市内22カ所の寺院から無断で持ち出された経典630巻が発見された。世にいう「清野事件」である。この結果、彼は懲役2年・執行猶予5年の判決を受けて京都刑務所に六か月収監されて、京都大学医学部教授を免職となった。
京都の寺院から無断で文書を持ち出せば、懲役2年で半年の刑務所暮らしである。
沖縄の墓地から近親者の同意なしに遺骨を持ち出して「琉球人の人類学的研究」という博士論文を提出すれば、医学博士の学位が与えられる。

「ここに見られるのは、人類館事件の際の「学術人類館」と同じく、まさに「知の暴力性」「学知の植民地主義」と言ってよい。特に注目されるのは、人類学は、西欧社会で生み出された概念装置で人間の差異を把握するものであり、植民地的実践の手段でありかつ結果であるというG・ルクレールの指摘である。
また日本政府は、同じく照屋寛徳議員による国会での琉球人遺骨の返還等に関する質問主意書に対して、「お尋ねの当該遺骨について「多くの関係者や研究者らが一日も早い返還と再埋葬を強く願っていること」について承知しておらず、お尋ねの当該遺骨の「返還と再埋葬に対する政府の見解」についてお答えすることは困難である」とのまったく無関係であるかのような無責任な内容の答弁書を平然と出している。その植民者意識丸出しであからさまに居直っている姿勢に大きな戦慄と強い憤りを覚える。
こうした遺骨問題への大学当局や日本政府の対応からわかることは、日本の植民地主義は想像以上に根深く、いまもなお日本人の意識の中に生き続けているという冷厳な事実である。ここまで論じてきた遺骨問題は、被害者側の当事者であるアイヌや琉球(沖縄)・奄美の人々の問題である以上に、加害者側である日本人(日本本土の人々)の問題であることは明白である。」(木村 朗「日本の植民地主義とアイヌ・琉球(沖縄)・奄美の遺骨問題」:239-240.)

2014年11月、京都大学のごみ集積所で「清野蒐集人骨」「大隅國大島郡喜界村」と墨書された木箱の蓋が学生によって拾われた(10. 243.)。蓋には第1423号~第1426号までの標本番号が記されており「清野コレクション」を再整理する過程で、不要とみなして廃棄したものと思われる。しかしこの遺骨が収納されていた「木箱の蓋」は、当該人骨の由来を確認するために欠かせない物証である。この「蓋」自体が一種の文化財とみなすことさえできる資料である。それをよりにもよって学内のごみ集積所に廃棄するとは、いったいどのような歴史感覚なのだろうか? 廃棄を指示した関係者は、まさか見つかるとは思わなかったということなのだろうか? 自らの「盗骨」の証拠を隠滅しようとしたのではないかと疑われても弁明の余地がないだろう。京都大学では、アイヌや琉球(沖縄)・奄美の人びとの遺骨や副葬品を、どのような方針で整理作業しているのか? 組織として事件の経緯・顛末を早急にそして公式に明らかにする必要があるだろう。

1995年7月、北海道大学の旧古河講堂の研究室の本棚の上に置かれた「人骨 ワレモノ」とマジックでなぐり書きされた段ボール箱の中から「東学党首魁」と墨書された頭蓋骨ほか6つが学生によって発見された。「京大人骨蓋事件」は、この「北大人骨事件」(井上 勝生2013『明治日本の植民地支配 -北海道から朝鮮へ-』岩波現代全書011)を想起させる出来事である。

大学には、深い「闇」がある。「知の暴力性」と「学知の植民地主義」に対する一人一人の倫理感覚が、問われている。


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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

清野 謙次 曰く「寺に埋もれたままにして虫に食わせるより、有効に使えるというわけで、悪いという意識はなかった」(渋谷 章1987「清野謙次京大教授の寺宝窃盗事件」『科学朝日』6月号:62.) 巣鴨拘置所における松沢病院院長内村祐之の聞き取りに対する供述。金関とも共通するであろう心理。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2019-04-27 21:10) 

アマチュア

清野謙治の論文は学生時代よく読んだ。縄文時代の人骨の出土状態、埋葬姿勢など、興味深いものばかりだった。しかし後に彼が窃盗で逮捕された件を知り、さらに弟子である石井四郎の設立した731部隊に教え子を多く派遣したこと、弟子の幾人は生体解剖をしていたのを知り幻滅。学史にのこる人物であることは間違いないだろうが、果たしてどう評価するか、人によって見解が分かれそう。ちなみに医学界では731部隊の存在はタブー。先生に聞いてみたら、トップにいる先生の師匠の師匠は清野だったというオチ。
by アマチュア (2019-07-07 00:40) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

他者の誤りを指摘するのは、それはそれで多くの困難がありますが、自分と関わりが薄いことでもあり、それほど困難ではありません。本当に困難なのは、自分との関わりが濃い人、特にお世話になった自分の恩師の誤りを正しく指摘することです。さらに困難なのは、自らの過去の誤りを正しく認めることです。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2019-07-07 07:37) 

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