SSブログ

男性・男性性の批判的研究 [論文時評]

最新のジェンダー研究は、CSMM(Critical Studies on Men and Masculinities:男性及び男性性に関する批判的研究)である。
マスキュリニティ(男性性)については、1年ほど前に紹介した【2017-12-16】。
「男性性」とは「男らしさ」といった意味であり、こなれない訳語である。
『現代思想』の最新号が「男性学の現在 -<男>というジェンダーのゆくえ-」という特集で、最近の動向をまとめている。
特にスティーヴ・ガーリック(清水 知子訳)「自然の再来 -フェミニズム、覇権的男性性、新しい唯物論-」:180-201.が、CSMMと新しい唯物論の相互関係について学ぶところが多い。

「今日の重要な論点は新しい唯物論の理論を男性性研究のなかにどう組み込むかということだ。このようなプロジェクトはCSMMと現代のフェミニズム理論の関係を再検討する機会を提供し、とくに両方の作業体系における自然の位置づけについて考える機会をもたらしている。新しい唯物論は社会構築主義という強固な形式との関係を断ち切りながら、ポスト構造主義理論の洞察を組み込んでおり、CSMMにおける強力な唯物論の伝統とフェミニズム唯物論との結びつきを強化する手段を提示している。」(181.)

CSMMという男らしさを巡る研究領域が、「新しい唯物論」とリンクされる。
これは、「ジェンダー考古学」を考える上で注目すべき方向性である。

批判的エコロジカル・フェミニズムという枠組みにおいて、いままで受け身とみなされていた自然を人間が一方的に支配するような志向性が「マスター・モデル」(男性的な枠組み)として示されている。
いわゆる「男性-文化-理性:女性-自然-感情」という古典的な二項図式である。
こうした図式を乗り越える有力な考え方が、「新しい唯物論」であるという。

「新しい唯物論は、ポスト構造主義と社会構築主義の両方に関連の深い言説、主観性、文化への批判的な焦点を乗り越え、代わりに、身体、物質、そしてより実践的でダイナミックな物質性の概念へ向かうことを目的とする一連の理論の総称である。新しい唯物論が土台にしているのは、より古い生物学的還元主義者や本質主義者の思考様式とも、「身体」の言説的あるいは社会構築的な分析ともまったく異なる仕方で、物質的な生の行為能力(エイジェンシー)を再考することだ。一般に、新しい唯物論の理論は、物質的な生の活力、ダイナミズム、そして創造力に、そしてまたこれらの諸力が文化や人間の社会関係と絡み合う方法に関係していると言えよう。それらは主に認識論ではなく、人間をより広範な生態学的プロセスに取り入れる生の存在論に関係している。ここで共有されている焦点はそれ自体、情動論、ポストヒューマニズム、バイオポリティクス、そして複雑系理論など様々な形式で現れる。ここで私が示唆しているのは、新しい唯物論が物質的で身体化された男性性の次元を再考し、それによってCSMMにおける自然の場を再検討するよう誘ってくれるというものだ。」(186.)

何だか、雲をつかむような話しであるが、実際に「雲」のような事柄なのだろう。
しかし私たちの根本的な世界観、特に文化と自然の関係性、そこに作用しているジェンダー的価値観、すなわち理性的な男に代表される文明が無限で豊かな自然を征服していくといった開拓史観が根底から問われていることは確かであろう。そのことが、鋭く問われている。
その他、家父長制、身体の行為能力(エイジェンシー)、男らしさの表徴としての暴力(ゲバルト)を巡る諸問題が語られる。

「新しい唯物論がCSMMとフェミニズム理論の関係において実り多い新しい道を育む可能性は、これらの分野の双方を特徴づける、すでに強力な唯物論的指向によって高まっている。そこでの問題は、生の物質的次元や、その文化ないし社会性の言説的要素との関係について私たちが理解を改めることにある。そうすることで、私たちはエコロジカル・フェミニズムや先住民フェミニズムの形式とのより大きな関係を潜在的に育むこともできる。CSMMのなかには、すでに「物質的-言説的」視点に向かって分野を広げている研究や、「社会的な肉」という観点から社会政治的な身体化を再想像しようと模索するフェミニズム理論の仕事など重要な研究がある。ハーンは「たとえ非常に難しいことであるとしても、知、物質性、そして同時に言説が身体化された自然について語り、分析し、認識することは挑戦すべき課題だと私は考えている」と述べている。これが難しい仕事であることは間違いない。おそらく新しい諸概念、そして自然と物質性についての新しい考え方が求められるだろう。本稿が示唆したのは、新しい唯物論的フェミニズムにはこのプロジェクトに提供する何かがあるのではないかということだ。」(198.)

考古学という学問に携わる場合にも、こうした考え方を知っているか知らないかで、大きな違いが生じるだろう。
「石棒」と呼ばれている石製品をただ詳細に観察して撫で回しているだけなのと、新しい唯物論的フェミニズムが示唆する自らの「男らしさ」を自覚して「自然と物質性についての新しい考え方」を踏まえているのでは、対象とする考古資料を巡る解釈にも大きな開きが生じることであろう。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。