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山本2019『住居の廃絶と儀礼行為』 [全方位書評]

山本 暉久 2019『住居の廃絶と儀礼行為』六一書房

「緑川東問題2019(その1)」でもある。

「ここで五十嵐彰の見解について触れてみる。五十嵐は自身のブログを含めてこの問題についてこれまで多数論じてきている。その論点は、「石棒が置かれていた場所には石棒設置以前に敷石が存在し、石棒を設置する際に敷石が「取り除かれた」とする根拠は、何だろう?」(五十嵐2016b:1頁)という疑問に導かれたものであるが、そもそも石棒が並置された位置には敷石はなかった可能性はないのだろうか。」(266.)

引用箇所は、「第5章 石棒祭祀の終焉と廃屋儀礼 第4節 その後の石棒研究をめぐって -石棒祭祀と柄鏡形(敷石)住居-」の部分にあるが、その多くは「緑川東問題2018(その3)」で論評した山本2017「柄鏡形(敷石)住居址研究をめぐる近年の動向について」から流用した文章であり、その中の加筆された箇所である。

「そもそも石棒が並置された位置には敷石はなかった可能性はないのだろうか」という問いに答えるべきなのは、そもそも「石棒が並置された場所にはかつて敷石があった」と考えている報告者たちであろう。
私は、もともと「石棒が並置された位置には最初から敷石はなかった」と考えている。
だから「緑川東問題」を提起した当初から、SV1に敷石や炉を除去した痕跡は確認できないので、SV1の製作時に大形石棒が設置された可能性を考えなければならないのではないかと主張しているのである。
しかし山本氏は、SV1は中央部に80cm×120cmほどの無敷石部分のある一般的な「住居址」だという。
あたかも後に4本の大形石棒を並置することを予見したかのように。

山本氏の労作(山本2002『敷石住居址の研究』、山本2010『柄鏡形(敷石)住居と縄文社会』)を紐解いて見ても、そのような事例は見当たらない。
緑川東の報告者たちがSV1の敷石除去にこだわったのは、「SV1は一般住居の再利用」=「大形石棒の廃棄時設置」=「廃屋儀礼」という図式(暗黙の前提)があったからではないのか?
2019年の緑川東問題の焦点は、「なぜ敷石除去にこだわるのか?」ではなく「なぜ一般住居の再利用(廃屋儀礼)にこだわるのか?」である。

「石棒祭祀を執り行うために、柄鏡形敷石住居が構築され、それがムラ(ムラムラ)から持ち込まれ、設置され埋め戻された。そのさい、覆土の壁際に礫石を積み上げる廃絶に伴う儀礼的埋め戻し=廃屋儀礼、が執行されたとみる考え方もある。であるがゆえに、炉(火を焚く場所)の構築は行われなかった。その背後には、西日本の土器交流から想像されるように、ムラ(ムラムラ)から他地域から移入してきたムラ人(たち)もこの祭祀儀礼行為に参加したものと思われ、異系統土器の供献も行われたであろうことは、敷石面に接して異系統土器も出土していることから想像できる。」(266.)

なぜ「石棒祭祀を執り行うために」わざわざ「柄鏡形敷石住居が構築され」なければならないのか?
その根拠を問うているのである。
なぜ「石棒祭祀を執り行うために」石棒祭祀を執り行うための専用の施設を構築した可能性を排除しているのか?
単に「そう思ったから」「そう思わないから」といった「印象主義」ではない答えを求めている。

引用箇所の前頁では「位置的にはこの場が炉址として構築された可能性もある」(265.)、後頁では「「床下土坑1」は…炉址の蓋然性が高いと思われる」あるいは「炉址としての可能性も考慮しておきたい」(267.)としつつ、本頁では「炉の構築は行われなかった」(266.)とする。
これでは、読者は戸惑うばかりである。
いったい筆者は緑川東のSV1に炉はあったと考えているのか、それともなかったと考えているのか。
それが判然としないということは、本人も判然としないと考えていると考えるしかないのだろう。

「破砕・火入れといったこの時期の柄鏡形(敷石)住居出土の石棒事例に多くみられるような廃屋儀礼ではないが、石棒の本来的用途の停止行為=廃屋儀礼、が行われたという一つの姿を示していると理解される。破砕・被熱していなくとも、柄鏡形(敷石)住居址からの石棒出土例は多いのだから(山本1996a・2002a)。すなわち、柄鏡形(敷石)住居構築→居住(期間の長短はある)→住居廃絶に伴い、石棒を持ちこみ儀礼的行為を行う(破砕行為が行われる場合もある)→埋没に伴い、火入れや土器・石器その他の供献や配礫(石)行為→埋没、というようなプロセスが考えられよう。問題は、なぜ、中期末・後期初頭期に石棒祭祀の停止行為が行われたか、それを問題とすべきなのである。」(266. この部分の初出は山本2017:44-45.)

「柄鏡形(敷石)住居址からの石棒出土例は多い」と、なぜ緑川東のSV1の大形石棒4本並置も「廃屋儀礼が行われた」ことになるのだろうか?
「石棒の本来的用途」とは、何だろうか?
もし大形石棒4本並置という状態も「石棒の本来的用途」の一端を形成しているのだとしたら、ここで述べられている事柄は瓦解しやしないか。

問題は、「なぜ中期末・後期初頭期に石棒祭祀の停止行為が行われたか」といった第1考古学的な問いではなく、「なぜ緑川東のSV1にまで「廃屋儀礼」を適用することにこだわるのか」という第2考古学的な問いであり、それを問題とすべきなのである。


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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

何度読み直してみても山本2019の引用第2文の論理的帰結を導く接続詞「であるがゆえに」で結ばれている前文と後文の論理的整合性が理解できません。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2019-02-24 08:15) 

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