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村田2017「発掘調査報告書のありかた」 [論文時評]

村田 文夫 2017 「発掘調査報告書のありかた」『二十一世紀考古学の現在 -山本輝久先生古稀記念論集-』六一書房:711-720.

「本稿では、これまで必要に応じて拝読し、多くの学恩をいただいたいくつかの発掘調査報告書を俎上に載せるが、そこから学問的な論争を挑むつもりはない。発掘報告書刊行の本来的なありかたは、将来にわたって学的作業に供せられる基礎的な情報の提示であるから、事実記載などにはどのような心くばりが必要なのか、そのあたりを検証するのが目的である。」(711.)

として、『通論考古学』(濱田1922)から諸原則を確認して、神奈川県川崎市における橘樹郡衙遺跡群に関わる幾つかの問題を指摘している。

(1)写真図版の重要性・多くの情報を
(2)千年伊勢山台遺跡の名称が消えた? 遺跡名の変更は慎重に
(3)影向寺は、「影向寺遺跡」に非ずではないのか?
(4)県史跡・子母口貝塚の地点名の混乱も困った
(5)既往の報告書への配慮を問う。それと文責は誰ですか?
(6)既往の見解に対して、どうして言及しないのですか
(7)拙著『川崎・たちばなの古代史』(新書C)にも、関連事項が記されています
(8)遺構番号や土器などの見直しは、既往の研究へ配慮と、瞭然とした比較が原則

いずれの指摘も私から見れば、極めて当然、当たり前の事柄ばかりで、このような配慮は学部時代に先輩などと一緒に考古誌(発掘調査報告書)の作成に携わる過程で、何となく教わることばかりのように思われる。

ところが、こうした当たり前の事柄が改めて記されなければならないということに、問題の本質は表れているのではないか。
すなわち筆者が引いたように、こと「日本考古学」の考古誌(発掘調査報告書)の「ありかた」については1922年以来およそ100年近くにわたり殆ど蓄積がない、まともな議論がなされてこなかったのではないか?

いや、そんなことはない。こうした問題の指摘は、その都度、あちらでもこちらでもなされている、という異議もあろうが、すくなくとも、隣接学問においてなされたような「民族誌学」として確立するような体系的な構築作業はこちらでは寡聞にして認められないことからして、その違いも明らかであろう。
例えば、恩師の古稀の記念として40代を中心とした教え子たちが編んだ論集『民族誌の現在 -近代・開発・他者-』(合田 濤・大塚 和夫編1995)のようなものが、「日本考古学」にあるだろうか?

「文字が主体となる民族誌記述に対して、図画情報の占める割合が圧倒的に高いという考古誌記述は、物質資料(もの)を対象とする考古学という学問特性に由来し、そこに考古誌特有の問題が生起する。主たる記録化手段である遺物実測図についても「精緻さと情報量の多さは日本考古学の特質のひとつ」と表層的な優劣を比較するだけでなく、考古誌記述全体について「文化を書く」表意体系における評価が求められる。(中略)
こうした考古記録の変換過程に関する議論が、報告書を「読み解く」作業(史料批判)である。<変換1>の結果であり<変換2>の基点でもある考古誌は、文字通り考古学という学問営為の結節点である。」(五十嵐2004「考古記録」『現代考古学事典』同成社:123-4.)

こんなことを記したのは、もう十年以上も昔のことである。
しかしそれからどの程度の議論がなされたであろうか?
最近刊行されたという「日本考古学の転換期、気鋭の執筆陣が各分野の最前線で、日本考古学の到達点と今後の展望を示す、旧石器時代から現代まで、日本考古学の最新テーマを網羅する、他に類のないレファレンスブック!」というコピーが付された書籍『日本考古学・最前線』(日本考古学協会編2018)にも、こうした事柄が取り上げられている気配は見当たらない。

少し以前に「より深化した方法論を鍛え、新たな歴史像の構築を目指し、さらなる学際性や国際性を意識して前進することが、日本の考古学に求められています」として刊行された『考古学研究60の論点』(考古学研究会編2014)にも、「学会誌はどうあるべきか」というテーマはあるものの「考古誌はどうあるべきか」というテーマは見当たらない。

なぜか? 視野に入っていないからである。
なぜ視野に入っていないのか? 問題意識がないからである。論ずべき論点などとは考えていないからである。
それよりもやるべき事柄はあって、こんな問題は酒の肴にしかならないと見下しているのではないか。

「考古資料を記録する、過去を書き記すということは、現在の見方で見えるものを特定の仕方で取り上げ、提示するということである。<第2考古学>を主題とする研究は、考古資料が記録される過程<変換1>を明らかにすることで、考古資料の特性を明らかにする。さらに考古誌の構成を分析する過程<変換2>を通じて、考古記録が「テクスト化される過程」が明らかになる。(中略)
考古記録をめぐる諸研究すなわち<第2考古学>は、その性格上「批判考古学」とならざるを得ない。「記録保存」という慣用語の背後に広がる領域について、考古誌を作成するという自らの表象行為として捉える自省的な認識が、考古学の新たな可能性を生み出す。」(五十嵐2004同:125.)


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