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西川1966「在日朝鮮文化財と日本人の責務」 [論文時評]

西川 宏 1966 「在日朝鮮文化財と日本人の責務」『歴史地理教育』第116号:1-13.

「1965年11月12日未明、衆議院本会議において佐藤内閣は日韓基本条約の採決なるものを強行した。11月6日の特別委員会での暴挙といい、あの「韓国」国会での朴政権の暴挙と全く同じやり方で、日本でも事が運ばれているのである。
ところで、国会内外において各方面からこの条約、諸協定の本質と多くの重要な問題点について、指摘され追究がなされている中で、一つだけとり残された問題がある。在日文化財の返還問題がそれである。ファッショ的なやり方で強引に批准に持ち込もうとされている日韓条約案件の中に、『文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定』とその『付属書』及び『合意議事録』というのがあるが、これは日本にある膨大な朝鮮文化財の中から、日本政府が選び出した359件のものを、「日韓間の友好関係の増進等を考慮し、両国の国交正常化に際し、文化協力の一環として引き渡す」ということに決めたものである。しかしこの条文にもられた美辞麗句は、単なる修飾に過ぎないものであって、この協定の本質は、在日朝鮮文化財の返還問題を、全朝鮮民族の意向を全く無視し、李承晩以来の「韓国」政府の要求をも踏みにじり、一方的に日本政府の方針を貫くことによって、解消してしまおうとしているところにある。(中略)
しかし、これは朝鮮人にとっては絶対に黙視できない問題であるだけでなく、日本人にとっても極めて重要な問題である。ひと口に言うならば、文化財返還問題は、日本が朝鮮に対して犯した植民地支配という罪過について、日本人として正しく反省し、謝罪するかどうかを、態度と行動で示すことの一環を構成する問題なのである。」(1.)

徴用工から慰安婦に至るまで日韓間に積み残された諸問題(植民地支配責任)が噴出している。
そして文化財についても。
これらのもつれた問題の原因は、半世紀前の日韓条約にあることも明らかである。

「在日朝鮮文化財についての日「韓」間の折衝は、1952年1月9日に返還要求がなされて以来、14年の年月を経過している。「韓国」側の要求の理由は、日本によるこれらの入手はいずれも不法不当であること、「韓国」の国民感情としてこれらは重要な意義を持っていること、さらに文化財にその性質上当然出土国に帰属するというのが国際的な趨勢であること、それに加えて、朝鮮動乱で「韓国」の多くが大きな被害を受けたこと、などを挙げてきた。そしてこれは、8項目からなる対日請求権の筆頭に置かれながら「朝鮮の国宝・歴史的記念物約5000点の即時返還」という形に後退したけれども一貫して返還を要求しつづけてきた。
ところが1965年4月になって、「文化財問題は、日本より韓国に協議の上引き渡すことで解決する」という合意に達するに至った。引き渡すとは「返還するということではなく、…適当な品目を韓国におくるということ」であると交渉の日本側当事者は説明する。返還からおくるという意味での引き渡しに何故転換したのか。原則がくずされたのに、何故「韓国」はこれをのむというのか。
交渉にのぞんだ日本側は、在日朝鮮文化財は「いずれも不法不当(強権による取り上げや掠奪等)にわが国に搬入されたものでなく、正当な手段、手続き(寄贈、購入等)によって招来されたものであるから、これが韓国側に返還すべき国際法上の義務も理由もない。また、文化財はその出土地において保存し研究するのがよいという一部の意見もあるが、こうした考え方は今日の世界の趨勢なり、国際法上の原則ではなく、したがってこれらの文化財が韓国に帰属すべきであるという理由はない」と終始反論してきたという。これは論ではない。事実によって完全に否定されることを、強引に押しまくっているに過ぎない。国際法を云々するのはナンセンスである。しかし、とうとうこの方針で押し切ってしまったのである。文化財問題をその中に含んでいた対日請求権が、わずか3億ドルの独立祝い金に解消されてしまった中で、これも贈り物にすげかえられてしまったのである。だから、当事者の一人は誇らしげに言ったのだ。「日本側の基本的立場は貫かれている」と。南朝鮮人民をも代表していない朴政権としては、日本政府のこの不当な立場を受入れて妥協する以外に、政権を維持していく途はなくなったのである。」

半世紀前の「世界の趨勢」と現在の「世界の趨勢」とは大きく異なっている。「世界の趨勢」を自らの論拠とするならば、今なにがなされるべきか「日本人の責務」は明らかであろう。
「押しまくる」ことで「日本側の基本的立場」を貫いたと誇った日本側は、国益に適った行ないと考えたであろうが、半世紀の日時はそれが実は人間的な信義に悖る浅はかな短慮であり実は国益を損なう行ないであったことも明らかである。

「佐藤内閣は、日韓条約調印で懸案は一挙に解決したと言い張っている。「韓国」側も解決したと言っている。ところが実は両者の言い分は完全に喰いちがっている。李東元外務長官が、65年8月12日「韓国」国会で答弁しているところによると、「この協定は、過去日本が韓国を強制的に侵略し、支配し始めた以後、日本がわが国から不法、不当に持ち出したわれわれの貴重な文化財を現物で返してもらうことをその目的としています。…こんどの協定によって…特にその中でも過去いわゆる日本帝国主義の統監府や総督府が収奪していったすべてのものを全部われわれの手にとりもどすことによって、わが民族文化を末永く保存すると同時に、学術的な研究に寄与しうるようにしました」というわけである。
このような双方の言い分の喰いちがいは日韓条約・諸協定のいたるところにみられる。一体どちらの主張が本当なのだろうか。誠に奇妙な条約・協定である。双方共人民をだましているのだ。だから双方共強行手段で批准にもっていこうとしなければならないのである。日韓条約そのものの不法不当性が、この文化財問題にもはっきりと露呈されている。
文化財協定は朝鮮民族の心を踏みにじる驚くべき無神経さと、恥ずべき厚顔さをもって、「韓国」側に臨んでいる。しかもそれに加えて、もっと大きな誤りの上塗りを企てている。即ち朝鮮人民から完全に浮き上がった朴ファッショ政権との交渉をもって、全朝鮮民族との話し合いにすりかえ、一方的に押しまくって二十年来の懸案は解決したと主張し、その上「両国民間の文化関係を増進させる」ものだとうそぶいている。これは、過去の日本帝国主義の朝鮮侵略の罪過にほうかむりをしてしまうどころか、むしろこれを合法化し、朝鮮の北半分の人民とその政府を敵視し、朝鮮の南北分断を永久に固定化しようという意図を、促進するものに他ならない。」(8-9.)

「押しまくった」歴史的経緯が、現状をも強く規制している。

「(三)東京大学、京都大学に残っている資料があるとすれば、なぜ所蔵し続けてよいのか。返還する必要はないのか。
(八)梁山夫婦塚出土品を含め東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府が関わった資料は返還する必要はないのか。必要がないとすれば、その理由を明らかにされたい。」(2010年6月14日提出 質問第586号 学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問書 提出者 吉井英勝)

「(三)及び(八)について
東京大学、京都大学及び独立行政法人国立文化財機構(以下「機構」という。)に確認したところ、東京大学、京都大学及び東京国立博物館が所蔵する朝鮮半島に由来する文化財については、いずれも合法かつ適切に入手されたものとのことである。なお、大韓民国に由来するものについては、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和四十年条約第二十七号)及び文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和四十年条約第二十九号)により、完全かつ最終的に解決されているものと認識している。」(2010年6月22日受領 答弁第586号 内閣衆質174第586号 2010年6月22日 内閣総理大臣 菅 直人 衆議院議員吉井英勝君提出学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問書に対する答弁書)

「不法・不当に日本にもたらされた朝鮮文化財は、日本人民と朝鮮人民との合議によって、両者の納得のいく方法で、これは全朝鮮民族に返還されなければならない。」(9.)
朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)との国交回復が具体的な事案となった2018年以後は、なおさら「日本人の責務」が問われている。


タグ:文化財返還
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