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対馬仏像返還問題に関する釜山ワークショップ(予告) [研究集会]

対馬仏像返還問題に関する釜山ワークショップ(市民対話集会)

日時:2018年11月24日(土)13:00~17:00
会場:国際ライオンズ協会 釜山支部 別館(韓国 釜山広域市 東区 凡一2洞)
主催:韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議

【呼びかけ文】
今年は1998年に小渕首相と金大中大統領が発表した「日韓共同宣言」から20年目の年です。他方2012年10月に対馬から仏像二体が盗まれる事件が起きてから6年が経過しました。犯人は逮捕されて判決を受けて刑に服したものの、二体の仏像の内の一体は今も韓国に留められて、引き渡しを求める浮石寺が起こした訴えによって大田高等法院で審理が行われています。事件発生からこの問題の混迷が日韓関係にネガティブな影響を与え、とくに粘り強く文化財返還要求運動を続けてきた日韓双方の市民グループに深刻なダメージを与えています。問題が長引き、両国間の新たなトゲとなっている現状を憂慮します。
そこで、日本への返還を求める対馬の観音寺、日本への返還に反対し自らの所有を主張する浮石寺の両当事者ではなく、市民の立場でこの問題をどう考えるべきなのか、専門家と共に率直に情報・意見を交換する公開の座談会を開催し、お互いの理解を深めて交流したいと思います。市民レベルでは初めての試みとなります。
ご参加・ご協力をお願いいたします。
 
【プログラム】
13:00-13:10 司会者挨拶・趣旨説明(廣瀬 雄一:前 釜山女子大学)
13:10-13:30 発題1(金 文吉:韓日文化研究所)
13:30-13:50 発題2(五十嵐 彰:東京都埋蔵文化財センター)
13:50-14:00 コメント1(金 炳究:弁護士)
14:00-14:10 コメント2(森本 和男:大阪経済法科大学)
14:10-14:20 コメント3(金 :前 外交部文化局長)
14:20-14:30 コメント4(菅野 朋子:ジャーナリスト)
14:30-14:50 休憩
14:50-16:50 総合討論 ① 発題者・コメンテーターによる討論
             ② 会場からの発言(李 相根:CAIRA文化財返還国際連帯 常任代表)
                      (安 孝敦:瑞山市市議)(崔 鳳泰:弁護士)ほか
16:50-17:00 感謝の挨拶(有光 健:韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議)

どうなることやら、総合討論の行方とその結末は誰にも予想できない。
以下は、私の発表原稿(会場配布予定資料)。

<もの>を見る私たちの眼差し

2種類の眼差しの変容

しかるべき<もの>には、しかるべき<場>があります。同じ<もの>なのに、あるべきでない<場>にある場合と、あるべき<場>にある場合とでは、その<もの>の価値・評価は大きく異なります。ある<もの>が不法・不当な手段によって持ち出されて本来あるべきでない<場>にあれば、その<もの>がどれほど貴重で素晴らしい<もの>であったとしても、それは誇らしく飾り立てて人に自慢するような<もの>とは言えないでしょう。しかしその同じ<もの>が、本来あるべき<場>にあるのならば、それは正しくその<もの>が有する価値を十全に発揮することになります。

私たちは、こうした<もの>を見る私たちの認識の変化、そして私たちが見る<もの>の存在する<場>の変化によって、その<もの>が有する価値・評価が大きく変わることに留意すべきです。当初は、その<もの>の外見的な価値しか気にせず、ただ異国の美しい文化財、珍しい品々という表面的な観点からしか評価していなかった人たちも、その<もの>が今ある<場>に持ち込まれた不法・不当な歴史的経緯を知ることによって、その<もの>を見る眼差しが変わるのです。変わらざるを得ないのです。「誇るべき」といった過去の栄光を表す<もの>から、かつて行なわれた不法・不当な行為を示す「恥ずべき」<もの>へと変容するのです(第1の変容)。

しかしその「恥ずべき」<もの>も本来あるべき<場>へと戻されるならば、その<もの>はその<もの>が本来持つ価値を取り戻して、全ての人たちが「誇るべき」<もの>となるでしょう(第2の変容)。

搬出・搬入という現在に至る来歴・経緯を知ることによって、不法・不当に持ち出された<もの>は栄光から恥辱へと変わり、さらにそれが本来あるべき<場>へ戻されることによって恥辱から栄光へと変わるのです。


大岡裁き

日本に言い伝えられている「大岡裁き」という説話を紹介します。大岡越前は、江戸時代に町奉行という言わば現代の裁判官の職にあった人でした。彼にまつわる「子供を取り合う二人の母親」という話しがあります。 ある子供の母親を名乗る二人の女性が現れます。どちらも自分こそがこの子の母親であると主張して譲りません。困った大岡は言います。「その子の腕をとって、引っ張りなさい。勝った方が真の母親である。」二人は何とか自分の子にしようと懸命に引っ張ります。当然、子供は痛い痛いといって泣き出します。とうとう可哀相に思った女が手を離して、最後まで引っ張っていた女は勝ち誇って子供を連れ帰ろうとします。「ちょっと待て。お前ではない。手を離した方が、本当の母である。」

もともとは旧約聖書にも似たような話しがある逸話です。争いの渦中にある対象を思う本当の愛は何なのかについて、示唆を与えてくれます。

文化財返還運動は尊厳回復運動

ある<もの>があるべき<場>に戻されるというのは、単に奪われた側の尊厳が回復するのに留まらず、奪った側の尊厳も同時に回復するということです。奪われた側の朝鮮や中国の人びとの尊厳と共に、奪った側の日本の人びとの尊厳も回復されます。奪われた側のアイヌの人びとの尊厳と共に、奪った側の和人の尊厳も回復されます。双方の尊厳が回復されることで、両者は新たな関係を構築することができるようになります。奪われた側の文化財還収(回復)は、民族の心を取り戻す運動です。奪った側の文化財返還は、人間の良心を取り戻す運動です。奪ってきた<もの>を持ち続けることは恥ずかしいことである、という人間として当たり前の感覚を持つことが大切です。そうした普遍的な基準で、あらゆる事柄が評価されなければなりません。過去に不法・不当な手段で得た<もの>を、現在も所有し続けることは倫理的に許されません。私たちは、ある<もの>を巡って、取り返したあるいは取られたといった皮相的な見方ではなく、<もの>と<場>の本来あるべき姿を考えなければなりません。

私たちは、現状がどのような過去・経緯によって成り立っているのか、現在をもたらした事柄を想起して、社会として返済すべき債務・負債を負っていることを意識することが必要です。奪った側がいくら過去になしたことを見ないようにしても、奪われた側の心の傷は癒えずにいつまでも痛み続けます。自らが負っている債務を意識し、債務を解消することによって、双方の外傷(トラウマ)を癒す。不法・不当な文化財の返還運動は、私たちのトラウマを癒す不可欠なプロセスです。物事を判断する基準として、国単位の利害(ナショナリズム)よりも普遍的な人間価値(エシックス)が優先される社会を目指しましょう。


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