SSブログ

津田1946「建國の事情と萬世一系の思想」 [論文時評]

津田 左右吉 1946 「建國の事情と萬世一系の思想」『世界』第4号:29-54.(1947『日本上代史の研究』岩波書店、1986『津田左右吉全集』第3巻 岩波書店、2006『津田左右吉歴史論集』岩波文庫所収)

「國民みづから國家のすべてを主宰すべき現代に於いては、皇室は國民の皇室であり、天皇は「われらの天皇」であられる。「われらの天皇」はわれらが愛さねばならぬ。國民の皇室は國民がその懐にそれを抱くべきである。二千年の歴史を國民と共にせられた皇室を、現代の國家、現代の國民生活に適応する地位に置き、それを美しくし、それを安泰にし、そうしてその永久性を確實にするのは、国民みづからの愛の力である。國民は皇室を愛する。愛するところにこそ民主主義の徹底したすがたがある。國民はいかなることをもなし得る能力を具へ、またそれをなし遂げるところに、民主政治の本質があるからである。そうしてまたかくのごとく皇室を愛することは、おのづから世界に通ずる人道的精神の大なる発露でもある。」(54.)

李 成市氏【2018-10-20】に導かれて、改めて津田1946を読む。
戦時期に超国家主義者から攻撃された歴史学者の戦後の第一声ともいうべき論考の結論部分であるが、あからさまな天皇主義者の信仰告白としか捉えられないだろう。極東軍事裁判の開廷を控えていたという時代状況を考慮しても、これでは「日本史の研究における科学的方法」という論題で原稿を依頼した編集者が当惑するのも当然である。そのため掲載誌の巻末に「編輯者」名義の「津田博士「建國の事情と萬世一系の思想」の発表について」(128-135.)と題する長文の解説が掲載されることになる。

「左翼の人々は、先生を日本歴史の研究に於ける最も権威ある科学的歴史家として尊敬し、特に先生が自己の学説を弾圧に抗して守りとほされた操守に対して深い敬意を表し、共産党の指導者すら公開の席上でその尊敬を披瀝してをるといふことであります。いや、一般に進歩的と呼ばれる傾向の人々は、その意味で今日一斉に先生に対して敬愛の念を抱き、反動的思潮に対する強力な精神的支柱として先生を仰いでをると存じます。そして先生の学説によつて非科学的な日本歴史が正され、神がかり的な妄想が一掃された後に、なほ先生が今回御発表になつたやうな積極的な皇室擁護の立場があらうとは、恐らく考へられてゐないに違ひありません。」(131.)

この時、編集者(吉野 源三郎)四十代、七十代の碩学(津田 左右吉)に異論を述べるにあたって、どれほどの逡巡と決意があったか伺い知れる。こうした文章を記しうるということ、そして本来ならばあくまでも私信として秘められるべき内容を、あえて公開しなければならないと考えた判断、こうしたことに『君たちはどう生きるか』という著作物を残した編集者の度量と生き様が表出している。

「先生のやうな方から戴きました原稿について、かやうな注文がましいことを申しあげる失礼は、まことに忍びがたいことでございます。しかし、唯今の日本の直面してをります課題の重大さと、先生におかけすることになるかも知れぬ御迷惑の大きさとを考へますと、あの御論説を発表するに先だつて、どうしても一度御相談申しあげずにはゐられなかつたのであります。先生のやうな方に向つて筆を曲げることを求めるといふやうな、大それたことをお願ひしてゐるわけでは毛頭ありませぬ。たゞ、たゞ切に憂慮いたしますところは今日の情勢から見て、御論説の発表の齎す政治的・社会的影響が思はぬ方向に向ひはしないかといふ點であります。人民の手によつて人民の自由のための政治を行ふ制度が、いまやつとうちたてられようとしてゐること、この根柢的な改革を遂行する主体の勢力がまだ微弱なこと、これに反して反動的勢力の潜在的な力はまだまだ強力で、たゞ外國の力によつてのみ抑へられてゐるにすぎないこと、そしてこの困難を凌ぎ國際的な地歩を占め得るだけの政府ができあがらない限り、今日の日本の経済は破滅のほかない状態であること、これらの點は勿論申しあげるまでもなく御承知のことではございますが、それと思ひ合せて、私の失礼な申出を御海容いたゞけましたら、私にとつてこれほど大きな喜びはございません。」(135.)

しかしこうした編集者の細心の要請にも関わらず、筆者は当該箇所である「われらの皇室」部分について削除はおろか修正すら拒絶し、そのまま印刷に付されたのであった。

「だから、野坂氏や山川氏の定義にしたがって政治制度としての天皇制と皇室そのものとを区別し、その用語法を用いるとすれば、先生の主張は天皇制擁護ではなくして皇室擁護だということができる。」(吉野 源三郎1967「終戦直後の津田先生」『みすず』4~6月号、1989『職業としての編集者』岩波新書所収:151.)

ここで示されているのは「天皇・皇室・天皇制」という三つを「個人的存在・社会的存在・政治制度」という階層の違いとして判断すべきという当時の議論に応じての編集者の理解である。たとえ概念上はそうであっても、実際の文章を通して、これらを識別していくことは多くの場合に困難であろう。実際に「皇室を愛することが民主主義であり、人道精神である」という「われらの天皇」なる言説について、これは「皇室」について述べているのであり、天皇制についてではないとする解釈は、同時に天皇制廃絶を明記していない限り説得力を持たないだろう。

「戦前の先生がファシストから攻撃され圧迫され、その思想的立場は右翼と対立するものであったのに対して、戦後の先生のこの姿勢は、先生自身としては一貫して戦前と異ならないと考えておられたにちがいないにしても、当時の人々の眼には、際立った変化として映り、問題になったのである。もちろん、そこには、先生に対する ー先生自身からいえば迷惑なー 期待があり、また、その期待が裏切られたという憤懣がなかったとはいえない。しかし、いずれにせよ、戦後先生が当時の思潮に対して意識的に保守的な立場にたち、また、敢えて保守的立場に立つことを必要と考えられたことは間違いない。」(同:190.)

「敵の敵は味方」などと勝手にそして単純に考えられたことについては、確かに本人は「迷惑」としか言いようがない心境であったであろう。
学問的な立場とその人の信条を識別していくこと、いつの時代でも困難な作業である。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。