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和田2015『遺跡保護の制度と行政』 [全方位書評]

和田 勝彦 2015 『遺跡保護の制度と行政』同成社

表紙に著者の肩書(それも14年前の元の所属)が記されている珍しい書籍である。

「本書は、そのように多様な意味や価値をもつ遺跡について、「文化財保護法」を中心とする法令で構成されているその保護、取扱いに関する「制度」と、それに基づいて国と地方公共団体の行政機関が行う「行政」の仕組みおよび「実務」を説明し、そしてさらにそれらの将来の方向性を提案することを主な目的としている。」(i)

私の着眼点は、「遺跡」と「埋蔵文化財包蔵地」の相互関係である。

「本書が対象とする「遺跡保護」の制度は、上記の1の「記念物」(そのなかの「遺跡」)および3の「埋蔵文化財」に関する制度によって構成されている。「遺跡」が埋蔵されている土地(埋蔵文化財包蔵地)には法第6章の埋蔵文化財の制度がはたらき、「遺跡」(が埋蔵されている土地)のうち重要なものは、法第7章の「史跡」の制度で護られる。」(16.)

本書を通じてそうだが、「遺跡」と「埋蔵文化財包蔵地」という2つの用語の使い分け、すなわちどのような時に「遺跡」を用いて、どのような時に「埋蔵文化財包蔵地」を用いるのかといった明確なルールは見出し難い。それぞれの用語が法令上に現れた経緯に応じて(「遺跡」は第2条 第1項 第4号、「埋蔵文化財包蔵地」は第93条 第1項)、その都度、融通無碍に用いられているとしか思えない(72-76.)。

「貝塚等が土地に埋蔵された状態にあるとき「埋蔵文化財」であり、その場所(貝塚等の遺構を包蔵している土地)が「埋蔵文化財包蔵地」という関係である。貝塚・住居跡等が所在している(埋蔵されている)場所は、一般に「遺跡」と呼ばれているので(つまり「遺跡」=「埋蔵文化財包蔵地」なので)、ここで「遺跡」=「遺構」としない限り概念の衝突・混乱が生ずる。したがって、このことは、「遺跡」は考古学上の呼称である「遺構」を意味するとした方が理解しやすい。また、制度に関する理解としては上記(i)の「遺跡」との関係(「遺跡」を包蔵する土地という意味)で、これを「埋蔵文化財包蔵地」と称する方が適切といえる。また、特に法第96条以下の「遺跡の発見」の制度の場合も、「遺跡」は考古学上の呼称における「遺構」を意味すると解する方が理解しやすい。」(74.)

何度読んでも理解が困難である。

「なお、最近文化庁が公表する埋蔵文化財包蔵地数は、本文の註に記したような重複カウントだという。重層する遺構の種類別・時代別をそれぞれ数えるのでは、極端に言えば埋蔵文化財包蔵地数は何倍にもなってしまう。種類別・時代別の遺跡数も無用とは言わないが、まず制度の対象になる埋蔵文化財包蔵地数を把握する必要があると思う。」(27.)

ここでは、「埋蔵文化財包蔵地」は重複しない、「遺跡」は重複するとの理解が垣間見れる。しかし、そのことの意味が深く論じられることはない。

「「遺跡の発見」とは、これまで知られていなかった新しい遺跡(遺構)が発見された場合をいい、したがって、周知の埋蔵文化財包蔵地においては、原則として、この制度の適用はないものとされている。周知の埋蔵文化財包蔵地において既に知られている遺構以外の下層の遺構などが確認された場合にこの制度の適用があるかについては、法解釈上は積極に解する余地があるが、現実の処理としてはこの制度は適用されていない。」(120.)

「法解釈上」はともかくとして、学問として検討する必要はないのだろうか?

「まずは、考古学的「遺跡」(学問としての「遺跡」概念)と埋文行政的「遺跡」(行政システムとしての「遺跡」概念)を区別していく必要性があろう。すなわち前者については考古学の研究対象としての「遺跡」という用語を、そして後者については埋蔵文化財行政の保護対象としての「埋蔵文化財包蔵地」という用語を当て、両者を明確に使い分けていくことである。」(五十嵐2004「近現代考古学認識論」:341.)

本書刊行を遡ること11年前の提言であるが、以来顧みられることはない。当然、本書の文献リストにも見当たらない。

「特定の思想を背景にしたり、唯我独尊的な埋蔵文化財最優先の”単なる主張”ではなく、制度・行政の正確な理解に基づいた、国民の意思・感覚、国の制度・行政全体に違和感なく収まることのできる仕組みの主張・提案があってほしい。そのような議論であってこそ制度・行政に責任をもつ側でも無視できないし、運動も社会のなかで存在感をもつことができるだろう。」(35.)

「遺跡」と「包蔵地」を使い分けようという提言は、「特定の思想」など背景にしていないし、「国民の感覚」にも違和感なく収まると思えるのだが…

以下、本書での当然とも思えるコメントを幾つか引用しておく。

「部外者の言い分で恐縮であるが、そもそも我が国の考古学研究の大枠の中には、膨大な量の発掘調査結果の情報(データ、報告書)や出土品・出土文化財を研究対象の資料としてどのように把握・共有化し学術的に活用していくかということに関する哲学や理論そのものがないように思えるが、どうであろうか。」(134.)

「…2010年10月、日本考古学協会が、自らの保有する発掘調査報告書の置き場に困って手放すこととし、結局、イギリスの研究所が引き取ることとなったという、かねて同協会を尊崇していた筆者としては耳を疑うような話が報道されたからである。さすがに内部からも異論があったらしく、幸いというか当然のことというか、この決定は撤回されたようであったが、…」(137.)


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