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いま『コロニアリズムと文化財』を考える [研究集会]

《荒井信一先生追悼シンポジウム》「いま『コロニアリズムと文化財』を考える -文化財をめぐる日韓・日朝の葛藤の歴史、現状と今後を語る-」

日時:2018年 6月 3日(日)14:00~17:00
場所:大阪経済法科大学 東京麻布台セミナーハウス2F 大会議室
呼びかけ・共催:韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議、東アジア歴史・文化財研究会
後援:岩波書店、国外所在文化財財団

1. 日本帝国の文化財略奪と『東洋史』(李 泰鎮)
2. 『コロニアリズムと文化財』の意義と課題(李 成市)
3. コロニアリズムと『文化的暴力』(康 成銀)
4. 日本に在る朝鮮由来の文化財、なぜ、ここに(李 素玲)
5. 『コロニアリズムと文化財』と考古学(森本 和男)
6. 『コロニアリズムと文化財』をどう読んだか -国際法の視点から-(戸塚 悦朗)

「荒井信一先生が昨年10月に逝去されてから半年が経過しました。晩年の先生のお仕事の中で、貴重で内外から高く評価されているのが、2012年に発行された岩波新書『コロニアリズムと文化財』でした。日韓併合100年の2010年に朝鮮半島由来の文化財の問題が注目され、2011年には「日韓図書協定」批准のための衆議院外務委員会に招かれて、参考人として意見を述べるなど議論を深めて、まとめられた著作でした。植民地期に流出した文化財の問題を、世界史的な視野で議論した画期的な著作で、韓国語にも翻訳され出版されました。同書刊行から6年近くがたち、その後に起きた出来事や葛藤もふまえて、改めて同書を読み、いま何を学び、今後に生かしていくべきかを語るシンポジウムを開催します。」(シンポジウム案内チラシより)

「先生は、1945年敗戦直前に東京帝国大学に入学して西洋史学科の学生として考古学にも関心が強かったという話で発表(日韓歴史家会議2012年10月東京:引用者挿入)を始められた。荒井先生は、入学してから「日本の考古学は日本軍部とともに歩んできた」と言っていた担当教授の話が忘れられないと述べておられた。青雲の志を抱いて大学に入った青年(荒井信一)にとって、そのような話は衝撃であり疑問だったようだ。私は、『コロニアリズムと文化財』を翻訳して、この本に引用した資料が一朝一夕に集められたものではないとすぐに理解できた。この本は、先生が大学時代から考古学に関心を持って集め始めた資料に基づいて書かれた、晩年の代表作に違いない。先生は、明治期から日本の軍部と政府の主な人物が隣国、特に朝鮮と関係を持ち、その文化財を「略奪」し始めたことを、考古学専攻の関係者の手記や論文などを根拠に、「植民地」朝鮮の文化財がいかに奪われたのか、その全貌を明らかにした。この本が出版された時期には、韓国でも日本帝国の文化財略奪に関する詳しい著作が出版されてきてはいるものの、歴史学者としての深い洞察に基づいた先生の著書とは比べものにならない。私は、翻訳しながら、この本は文化財関係研究者だけでなく、韓国の歴史学者ならば誰でも読むべき必読書にしなければならないと強く思うようになった。」(李 泰鎮:2.)

「日本は、今まで帝国時代の侵略行為を国際情勢の変化に依拠して、やむを得ず行った措置の結果だと主張してきた。侵略性を糊塗するための困った弁論である。日本帝国の対外膨張主義は、あくまでも吉田松陰の「幽囚録」の教えを実践するための「盲目的」な行為に過ぎない。日本の戦争責任は、日中戦争と太平洋戦争での加害行為に限定されるのではなく、明治以後の全ての侵略行為へと幅を大きく広げるべきである。日本の安全のために隣国が全てにおいて犠牲にならなければならないという論理に、果して誰が賛同するだろうか。このようなごり押しの論理がそのまま維持されている状況で、日本は東アジアの平和を唱えることはできないはずだ。文化財返還問題は、日本近現代史に対する根本的な反省から始まらなければならないだろう。」(同:6.)

それぞれの発表の後の意見交換の場で、資料集に掲載されたある書評の文言が問題となった。
「日本側の見解を示す資料に比べて、韓国側の糾弾調の資料の引用が目立つ。植民地でなされた学問的成果を全面否定するわけではないが、コロニアリズムを悪とする政治的判断にやや傾斜するきらいがある。だが、これは本書の欠点ではない。戦後問題には政治的判断がつきまとうものだからである。」(藤原 貞朗2012年8月12日『日本経済新聞』朝刊)

「コロニアリズムを悪とする政治的判断にやや傾斜するきらいがある」ということは、評者は「コロニアリズムを必ずしも悪とはしない」という政治的判断をしていると判断せざるを得ない。

「第一に、近代の日本は対外的に膨張政策を取り、周辺諸国・諸地域に対する植民地化を強行し、その中で諸民族に対する植民地主義と人種主義を形成した。
第二に、植民地主義と人種主義の学問的形態として植民学や人類学が発展させられた。その帰結が人類館事件であり、盗掘である。
第三に、第二次大戦後、日本国憲法の下でも植民地主義や人種主義の清算がなされなかった。このため戦後民主主義の時期にも盗掘が続けられた。
第四に、アイヌ民族及び琉球民族による遺骨返還要求に対する北大や京大の対応は、文字通り植民地主義と人種主義のなせる技というべきである。すなわち、植民地主義と人種主義は清算も中断もないまま、現在まで見事に延命している。
それゆえ、近現代日本を貫く植民地主義と人種主義を俎上に載せなければならない。」(前田 朗2018「日本植民地主義をいかに把握するか(一) -人類館事件と遺骨返還問題を手がかりに-」『さようなら! 福沢諭吉』福沢の引退を求める三者合同講演会機関誌 第5号:3-28.)

過去に優生的な「判断」によってなされた措置に対する名誉回復の動きが報じられている。
近い過去に対する私たちの「判断」が問われている。


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