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奥野・石倉 編 2018『Lexicon 現代人類学』 [全方位書評]

奥野 克巳・石倉 敏明(編)2018『Lexicon 現代人類学』以文社

Lexicon(レキシコン)とは、語彙目録・用語辞典といった意である。「01. 再帰人類学」から「50. ホモ・サピエンス」までの50項目について27人の執筆者によって解説されている。執筆者の内訳は、1950年代生まれ1人、60年代9人、70年代8人、80年代6人(不明3人)と若手中心である。2018年の最新の研究状況が伺われる。
全体を通しての最多頻出被引用者は、圧倒的にエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロである。

「1980年代から90年代にかけて、人類学者は、フィールドワークと民族誌の記述という人類学の学問的営為それ自体を俎上に載せて検討することに向かい、客観主義との関係で、現地調査のあり方や文化の記述の問題点を主題化した。人類学の「ポストモダン」である。その流れを汲んで、やがて、「ポストコロニアル」の時代には、人類学の政治性を暴き立てる方向へとしだいに歩みを進めていった。このように、人類学が内向きに猛省をつづけた時代のことを、今日、「再帰人類学」の時代と呼ぶ。(中略)
…再帰人類学の時代は、ゆるやかに「人類学の静かな革命」と呼ばれる今日の潮流につながっている。それは、アミリア・ヘナレ、マーティン・ホルブラードとサリ・ワステルによれば、再帰人類学を耐え忍んで、じっくりと熟成したひとつの潮流である。ブルーノ・ラトゥール、アルフレッド・ジェル、マリリン・ストラザーン、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ、ロイ・ワグナーらがその流れをつくっているとされる。」(奥野 克巳「01. 再帰人類学」:12-13.)

「自己への回帰性」にこだわる人類学が「再帰人類学」で、現代人類学は既にそうした状況を通り抜けているという。「単に掘り出された過去を撫で回すだけでなく、撫で回す私たちの在り方、撫で回し方をこそ考えなければならない」という第2考古学とは正に「再帰考古学」である。とすると、こちら(日本考古学)はあちら(現代人類学)に比べて1周半どころか、2周半遅れている状態となろうか。

本書の編者の一人が『現代思想』に掲載した「「存在論の人類学」をめぐる相関図」(石倉 敏明2016「今日の人類学地図 -レヴィ=ストロースから「存在論の人類学」まで-」『現代思想』第44巻 第5号:311-323.)が、考古学を取り巻く現状を俯瞰するのに便利である。

今から10年前に「黒曜石のハウ」という論文が書かれた(田村 隆2008『考古学』第6号)。それから3年後に民族誌的理論のための学術誌として『ハウ(HAU)』が創刊された。
「…『ハウ』誌は「あらゆる民族誌的洞察の理論的潜勢力を受けとるように呼び掛ける」ことを狙っている。彼らの提唱する「民族誌理論」は、「異邦人的概念(stranger-concepts)」を、その異型同義語を自らのうちに探し出すような仕方で理解し、異なる世界のあいだに調和を打ち立てるよりも、それを同型異義語のように理解することに重きを置く。同じ語のあいだにずれが生じるように考えを導くことによって、従来の概念や理解に変化をもたらす批判の余地が生まれるからである。ひとことで言えば、他性を批判的思考と結びつけるような思考を展開しよう、というよびかけなのである。」(近藤 宏「13. 他性」:58-59.)

ちなみに2012年の『ハウ』誌(第2巻 第2号)は、日本人類学特集である(Anthropology as critique of reality: A Japanese turn.)。

考古学に関する項目は、「26. 考古学と人類学」(石井 匠:112-115.)のみである。
「日本の考古学において、本格的な存在論の諸概念についても議論が本格化するのは遠い先であろう。理由は以下の2つである。①考古学が人間中心主義に立脚していることに疑念を抱く研究者が少なく、現況では問題設定自体が成立しない。②考古学の研究対象が人類もしくは物質文化に限定されている。」(同:112.)

「日本考古学」においても問題設定自体は、既になされているのではないか?
解釈考古学」の紹介といった形で。
あるいは「考古学的構想力」の提示といった形で。

「《道具》=モノが、さまざまな人間集団の振る舞いを相対化する基軸となるとともに、そうしたモノそのものも複数現われるストラザーンの方法は、主体中心の発想と、世界の多様性をただ、人間主体との相関性から逃れた剰余とみる考え方を、とうに超えている。哲学がようやく、西洋近代の思考の限界がどこにあるのか気づき始めた今日、人類学から得られる示唆はきわめて豊かである。現代思想が今後なし得るのは、主体中心のこれまでの相対主義を超え、モノを中心的媒体に繰り込む理論を、地域的な文化事象にとどまらず普遍化することであり、またそうした視座から自然科学そのものをも捉えなおすことであろう。」(清水 高志「34. 交差する現代思想と文化人類学」:150-151.)

<もの>と<場>に関わる考え方が、ますます前景化していることを感じさせる。

「さて、めまぐるしくうつりゆく、現代思想の(こう呼んでよければ)「物質的」転回を考えたとき、同じく物質の学を自認しているはずなのに、その転回にどこか「乗り遅れ」ている学問分野があるように思われる(そこに乗らなければいけないわけでもないのだが)。それが「考古学」である。」(佐藤 啓介2016「死者は事物に宿れり」『現代思想』第44巻 第1号:232.) 

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