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「考古学・人類学とアイヌ民族」 [研究集会]

3学協会共催シンポジウム 考古学・人類学とアイヌ民族 -最新の研究成果と今後の研究のあり方-

日時:2017年12月17日(日)10:00~15:00
場所:東京大学文学部1番大教室(東京都文京区本郷7-3-1)
主催:日本考古学協会
共催:北海道アイヌ協会・日本人類学会
後援:文部科学省

講演1:オホーツク文化人と琉球人 -アイヌ民族との接点を求めて-(石田 肇)
講演2:ミトコンドリアDNAからみたアイヌ民族の成り立ち(安達 登)
講演3:北海道におけるガラス玉の流通と「シトキ」の成立(越田 賢一郎)
講演4:アイヌ民族の成り立ちとオホーツク人(瀬川 拓郎)
討論:コメンテーター(阿部 一司・佐藤 幸雄)、司会(加藤 博文)

開催趣旨:アイヌの人々は、北海道を中心に日本列島北部周辺に先住し、言語や宗教など文化の独自性を有する先住民族です。明治時代から人類学や考古学による研究が行われており、近年の遺伝子分析や大規模な発掘調査により新たな歴史像が見えてきました。本講演会では最新の人類学や考古学の研究成果を紹介するとともに、今後の研究のあり方について考えたいと思います。

本シンポジウムは2017年4月に発表された3学協会(北海道アイヌ協会・日本考古学協会・日本人類学会)によるラウンドテーブルの最終報告書を受けて開催されたものである。この報告書(案)の段階で様々なパブリックコメントが寄せられて、そうした意見のあるものは最終報告書に反映されている。

「…アイヌの遺骨と副葬品の慰霊と返還の実現が第一義であり、研究に優先されることを十分に理解する必要がある。
アイヌの遺骨と副葬品の尊厳を守り、慰霊と返還の実施とともに返還請求には最大の配慮で応えることが第一義であり、研究に優先されることを十分に理解する必要がある。」(『これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書』:6.)

同じような文言が繰り返されている。それにも関わらず、それぞれの講演で「研究に優先される」はずの「慰霊と返還」に関して言及がなかったのはなぜなのだろうか? 返還に関する発表者の見解は、会場からの質問を受けてようやく討論の場で示されるというのはどういうことだろうか?

「…これまでのアイヌの遺骨と副葬品について行われてきた調査研究や保管管理の抱える課題について、学術界と個々の研究者は人権の考え方や先住民族の権利に関する議論や国際的な動向に関心を払い、その趣旨を十分に理解する努力が足りなかったことを反省し、批判を真摯に受けとめ、誠実に行動していくべきである。」(同:4.)

集会が始まる前に構内に入る入口で「アイヌ民族「遺骨研究」反対!「慰霊・研究施設」建設反対!」と記されたチラシが配布され、アピールがなされていたその内容についても「今後の研究のあり方」を考えるにあたって「真摯に受けとめ、誠実に行動していくべき」であろう。

「私たちは、アイヌ民族を「劣等民族」と決めつけて遺骨を略奪し差別研究を続けてきた日本人類学会・日本考古学協会(学協会)の歴史的犯罪を弾劾します。そして、アイヌ民族に対する謝罪も根本的な反省もなく続けられようとしている「遺骨研究」に反対します。「学協会」の学者たちは遺骨略奪と差別研究・差別思想の流布によって天皇制国家のアイヌ民族同化抹殺政策に加担し民族の主権を否定し続けてきたのです。」(ピリカ全国実・関東グループ 東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会 2012.12.17配布チラシより)

さまよえる遺骨たち」の声に応答することが必要である。

社会学の方面からは、和人の対アイヌ民族認識史として以下のような見解が示されている。

「…このような領域は、他者表象の問題をやはり抜きには語れない。サイードの『オリエンタリズム』以降古くて新しい問題となり、また本書でも観光分野などで扱った事柄でもある。くりかえすが、本書はアイヌ民族ー和人関係史という以上に、濃厚に和人の対アイヌ民族認識史の色彩を帯びている(その意味では「アイヌ民族ー和人関係史」というタイトルは、看板倒れか誤解を招くものというそしりを受けるかもしれない)。とはいえ、たとえ和人史を書くとしても、私自身もアイヌ民族をどこかで記述する立場に立つことは免れない。
他者を表象することの問題がかまびすしく語られ、時には”聞き飽きた”という拒絶反応を招き、あげくには単なる論争のはやりすたりのように片づけられてしまう傾向がある中で、深められないまま残されている論点も少なくない。きわめて素朴な物言いながら、他者を描くことはやはりやっかいで難しいことである。「誇り」のように相手を主体的にとらえ励まそうとしているかのように見えることさえ、逆に相手の主体性にふたをしたり、あるいは自らの優越意識の裏返しである可能性があることを思うと、なおさらである。しかし書かなければすむという問題でもない。ふれないことは他者の存在を抹殺することにつながる場合もあるからである。」(東村 岳史2006『戦後期アイヌ民族ー和人関係史序説 -1940年代後半から1960年代後半まで-』三元社:328.)

今、問われているのは、「タマサイ」や「シトキ」の歴史的な意義ではなく(もちろんそうした研究も重要であろうが)、それらがどのような経緯で入手されたのか、その倫理的な問題についてどのように考えているのかといった問題ではないだろうか?
トビニタイ文化やオホーツク文化といった「遠い過去」の究明もさることながら、「児玉コレクション」をどのように考えるのかといった「和人考古学者」としての「近い過去」の評価が求められている。
このことが前提となってはじめて双方の建設的な対話(行動と尊厳のためのパートナーシップ)が可能となるのではないだろうか。

「保刈がモーリス=鈴木から引用した言葉を私も孫引きしていうならば、「歴史への真摯さ」を私なりの方法で本書では追究した。そしてそれは序章から強調してきたように、アイヌ民族のためのものというよりは、和人としての私の歴史感覚をまっとうにするための道である。」(東村2006:338.引用者強調)

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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「和人考古学者としての評価」とは、以下のような文章とも通底しています。
「遠い往昔の石時代のものから近代に至る迄の多数の骨格を蒐集して比較研究し得れば、実にアイヌ研究のみならず、わが日本民族の体質研究に非常に大なる貢献となるものである」(児玉 作左衛門1936「八雲遊楽部に於けるアイヌ墳墓遺跡の発掘に就て」『北海道帝国大学解剖学教室研究報告』第1号:1-2.植木 哲也2008『学問の暴力』189.より重引)
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2017-12-25 12:38) 

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