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「謎多き大形石棒を学ぶ」(報告) [研究集会]

「謎多き大形石棒を学ぶ」

日時:2017年11月19日(日)13:00~15:30
場所:くにたち郷土文化館(東京都 国立市 谷保6231)

1.「緑川東遺跡出土大型石棒の岩石種とその産地」(柴田 徹)
2.「対置された石棒 -緑川東SV1を考えるために-」(中村 耕作)
3.「緑川東問題 -住居再利用説と特殊遺構説-」(五十嵐 彰)

私の話しの冒頭は、四十数年前に社会部考古班の一員として顧問の先生に連れられて、今回の会場である施設が立地する南養寺遺跡で、生まれて初めて縄紋土器のカケラを拾ったというほのかで淡い、しかし当時の私としては鮮烈な思い出から。
そして本日、会場に至る道筋の畑で、四十数年ぶりに同じ<遺跡>から同じような縄紋土器のカケラを拾いましたという報告付きである。
人生とは不思議なもの、巡りあわせは奇なもの。
その当時は、まさかあそこにあんなものが埋まっているとは夢にも思わなかったし、ましてや自分がそのことについてここで話しをするようになるとは…

4本の大形石棒の「岩石種とその産地」については、北西部設置の#1・#2が安山岩(デイサイトの可能性あり)、南東部設置の#3・#4が流紋岩(花崗斑岩もしくは石英斑岩の可能性あり)とされ、当然のことながら「柴田との意見交換に依存した部分が大きい」と明記された山本2017が示した鑑定通りとなった。

「対置された石棒」と題する発表では、「石棒」の研究史から「二項対立的世界観」の流れの中に緑川東の4本の石棒を位置づけた。群馬県南西部の大山にせよ、神奈川県西部の箱根にせよ、それぞれ緑川東から直線距離で70kmから100kmもの距離を隔てる。河川を利用したにせよ、運搬の労力だけでも尋常ではない。1kgにも満たない石斧や土器の長距離運搬とは訳が違う。そう、とてつもない! そうやって持って来た<もの>それぞれがおそらく異なる履歴を経た上で、どのような事情があったのか、あそこに集められて、一方向を指し示すようにそれぞれの先端部を微妙に寄せて、なおかつ外側2本の末端部をやや引き出すように細心の注意を払いつつ「2:2」のシンメトリーに配置する。どう考えても、場当たり的に設置したとはとても思えない。周到な上にも周到な計画性をもって配置したという想定がいやがうえにも強まってくる。

石棒発見から考古誌刊行までの「第1期」では、調査担当者による「特殊遺構説」が主張されており、考古誌での「住居再利用説」の全面的な採用によって「第2期」では「特殊遺構説」が徐々に影を潜め「住居再利用説」一色になっていくこと、「緑川東問題」提出後の「第3期」では「住居再利用説」と「特殊遺構説」が現在に至ってもなお拮抗していること、ただし再利用説の陣営からは特殊遺構説が提出している様々な疑問に対して、どれ一つとしてまともな応答がなされていないといった経緯を踏まえたうえで、両陣営がSV1をSV(特殊遺構)とした理由・根拠が今後の焦点となることを指摘した。
すなわち「再利用説」では「炉の不在」と「大形石棒の存在」の2点を根拠とするのに対して、「特殊遺構説」ではこの2点に加えてさらに「壁面積石の存在」と「床下土坑の存在」を指摘している訳である。なぜならば、本来は「一般的敷石住居」であったとする「再利用説」では、当初からの施設要素である壁面積石や床下土坑の特殊性は、決して相容れない、自説にとっての矛盾でしかないからである。「再利用説」では石棒が出土したSV1の特殊性について、改変行為が施された遺構中央部のごく一部(部分)に限定する(せざるを得ない!)のに対して、「特殊遺構説」の特殊たる所以は、遺構全体を論拠としている点に両者の大きな違いが表出している。

黒尾さんたちと和田さんの立場の違いがはっきりしたのも、この一連の講演会における大きな収穫物であった。すなわち黒尾さんたちの「敷石除去」には炉が含まれているが、和田さんの「敷石除去」には炉が含まれていない! これは同じ「敷石除去」とは言いつつも、その意味するところは決定的に異なる事柄ではないか!

こうした議論は、所属する時代や時間幅・スケールは大きく異なるものの、緑川東と山形県の富山とで同じ構図にあると言えよう。両者は、出土資料の解釈の在り方を問う、すなわち<もの>というテクストの読解方法を巡る議論という意味では同じであり、深く通底しているのである。というより考古学という学問は、本来こうしたたぐいの議論のもとに成立している営みなのだから、当然と言えば当然のことなのである。

「性象徴の考古学」を論じる際にも、最低限のジェンダー認識を踏まえておくことは研究者としての務めであろう。

「ファロセントリック / 男根中心主義的 / Phallocentric :より広い意味では、陰に陽に女性に対する男性の特権的な象徴的権力を支え、家父長制の文化的・物質的不平等を補強する一切の理論やテクスト表象、言説、そして社会システムについて用いられている。」(ピーター・ブルッカー(有元 健・本橋 哲也訳)2003『文化理論用語集』新曜社:194.)

「このような展望に立てば、以下のように疑ってみることができよう。男根[ファロス](大文字の男根ファロス)とは自己の諸特権に執着する神の現代的な姿ではないかと。だから、男根[ファロス]はあらゆる言説の最後の意味であり、特に性的な真理と所有との原基準であり、あらゆる欲望の最終的な能記[シニフィアン]ならびに/あるいは所記[シニフィエ]であると自称しているのではないかと。さらには、家父長制の紋章および手先として、父の(大文字の父)の名を保証しつづけるのではないかと。」(リュース・イリガライ(棚沢 直子ほか訳)1987『ひとつではない女の性』勁草書房:75.)

10月の講演会の配布資料で和田さんは緑川東問題について「最近の議論は迷走気味であるが、一つの原因はSI1をSV1に変更しながら、その前には一般的住居であるとする観念にとらわれすぎているためである」と記されていた。私も正にその通りだと思う。ただし私は現状を「迷走気味」とは捉えない。もちろんいつまで経っても同じような論点を繰り返し論じているような堂々巡りは論外であるが、緑川東問題についてはその都度、新たな論点が提出されて着実にそれぞれの認識が深まっているのではないか? 本来「迷走」しなければならないような状況にも関わらず、「迷走」もせずにある特定の考え方に統一されてしまい誰からも異論が唱えられないような状況こそ、かえって危険だと思う。

講演後に会場の参加者と講演者の間でなされた質疑応答の内容にしても、一か月前の前半戦の時と比べると、緑川東問題の認識について格段の深化が見受けられるように思われたのは私だけではないはずである。こうした方々を中心にして「緑川東研究会」を立ち上げることも十分可能なのではないか。というより、むしろ立ち上げる必要があるのではないか。

会終了後には、大学の教師に引率されてきた若い専攻生たちとも意見を交わすことができた。これからはこうした若い人たちが、「緑川東問題」を牽引していくことになるだろう。特に若い女性考古学研究者が、最新のジェンダー理論を武器に、私を含む頑迷な「オヤジ考古学者」たちの迷妄を覚まさせてくれることに期待したい。

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