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「日本考古学」の国際化 [総論]

「日本考古学」にとって「国際化」とは、どのようなことなのだろうか?

「とするならば、英語圏の言語・考え方に歩み寄るという形だけを「国際化」と位置付けてしまうと、スペイン語圏のように「なぜ英語だけが国際基準になってしまうのか?」という不満につながる可能性があります。非英語圏の人間たちが「国際化」を考えるのと同時に、英語圏の人たちもやはり「国際化」を考えていくべきだと思います。(細谷)
中南米においても同様な話しがあると聞きます。さしたる理由もなく、私も英米を普遍的存在ないし世界の代表のように見なしがちでした。反省が必要ですね。(瀬口)
「欧米」対「日本」とつい考えてしまいがちですが、一口に「欧米」と言っても多様です。学問的指向としてはむしろ日本に近い国々も多いことに改めて気づきました。日本考古学の「国際化」を語るとき考慮すべき事実だと思います。(細谷)」(瀬口 眞司・細谷 葵・中村 大・渋谷 綾子2014「日本考古学の国際化 なぜ必要か?/何が必要か?」『考古学研究』60-4:8.)

「日本考古学の国際化」を語るときの文脈として、英語圏だけでなくスペイン語のような「非英語圏」の存在にも留意すべしという話しである。
以下は(やや長いが)、日本の神道界の「国際化」を批判する文章(磯前 順一 2013 『閾の思考 -他者・外部性・故郷-』法政大学出版会)である。

「神道の国際化が唱えられるとき、きまって彼らが主張するのは、外国人の研究者によって認知されたいということ。そのためには、英語を使って神道の思想を表現したいということである。では、そういう外国人や英語という対象や媒体を用いて、彼らは何を達成したいのであろうか。人は誰しも動機付けをもって行動しているわけだから、彼らの言う国際化を無私の非営利活動、真の国際理解として片づけてしまうことは、逆にきわめてイデオロギー的な行為に絡み取られることになろう。そもそも彼らが、自分たちが国際化するために必要としている外国人とはどのような人たちを指すのであろうか。そのような外国人との交流を通して、どのような国際化を彼らが実現しようとしているのかが検証されなければなるまい。これまで述べてきたように、国際化とは少なくとも他者の眼差しを意識することを前提としているわけであるから、そこで他者とどのように出会おうとしているのか。その向き合い方が問われなければならない。」(56.)
「そういう意味では、英語で神道論を書いた、海外で会議を開いたということだけでは、神道の国際化が起きたとは言えないのである。一時ほどの勢いはなくなったとはいえ、ジャパン・マネーを目的として、神道研究に方向を転じる外国人研究者もいる。そのような外国人の称賛を得たからといって、彼らが私は神道が好きですからと発言してくれたからといって、それは神道の国際化を証明するものではない。お互いに接触をもたなかった同士、あるいは歴史的に葛藤を抱えた文化に属する者同士が出会ったときに、さまざまな意見が出されて、ぶつかり合う。そのなかで、自分をどのように変えてゆくか。同時に相手もどう変わってゆくか。そのような互いへの交渉行為、関わり合いがあって、はじめて、真の意味での国際化が成立することになる。」(57.)
「つまり、近年になって明治神宮が盛んに宣伝しているように、明治神宮はアニミズムの森であり、日本の国民の心を癒す場所だと謳うだけでは、片づかない問題がそこには存在している。杜の森は素晴らしい、アジアに広く見られるアニミズム信仰にもとづくものだというだけならば、朝鮮神宮や京城神社も敗戦後も朝鮮半島の人びとに受け入れられ残ったはずである。なぜ、それが数日間のあいだにすべて壊されてしまったのだろうか。そのような問いを自らに突きつけることができるか否か。そこに他者の眼差しに対する感受性が問われている。韓国人の回顧文が示しているのは、日本の神社が単なる癒しの<場>などという美辞麗句では片付けることのできない、日本国家および神道界による政治・文化的な強制に対する違和感である。
「神社参拝を最後まで拒否したわれわれの級友・金 永喆くんは37年、日本警察に連行され残酷な拷問のすえに死んでしまった」。この一文を読んで、神道の国際化を称える明治神宮の人たちはどのように考えるのだろうか。「いとも厳しく美はしく社殿成りて」と自画自賛するその文章のいったいどこに、このような無残な死を遂げた朝鮮人の魂と向き合う気持ちがあると言えるのだろうか。明治神宮の関係者にとって、神道の国際化を支える外国人のなかには、このような悲惨な死を遂げた朝鮮人も含まれているのだろうか。それとも、日本の神道を賛美しない存在は、そもそも外国人としてさえ認められない人間以下の存在として扱われてしまうのだろうか。」(59-60.)
「他者に向き合うことの難しさとは、そのような違和感を訴える声が相手から出されたときに、そこで自分のナルシシズムに亀裂を入れることへのためらいから生じるものなのであろう。しかし、私たちは、自分のナルシシスティクな幻想をほめてくれる外国人だけでなく、そのような幻想に傷つけられてきた外国人の存在にきちんと気づき、彼らと対話を始めていくことが大切なのである。自分が他者をも傷つける存在である、そのような他者に暴力を行使した過去を有することは、自分を美化する幻想をもちたがる人間にとっては容易に受け入れられることではない。そのような心地の悪い他者の存在は、その存在を無視してしまった方が都合がよいだろう。しかし、私たちが -もちろんそれは日本人だけでなく、おそらくあらゆる民族が- 、そんな美しい自己イメージのなかに閉じこもることのできない存在であることを知るためにこそ、そこを出発点にして対話を始めるためにこそ、他者の眼差しに自分を曝す必要があるのだ。」(61.)
「このような対話の場を設けるためには、いままで見てきた明治神宮の物語のように自分の帝国の歴史は考えたくない、自分たち国民は被災から立ち直った美しい民族である、という内閉したナショナリズムでは、自分が見たくない過去の歴史を背負った他者とは永遠に向き合うことはできない。「慶びの日。夫婦の楠の前に立ち、微笑みいっぱいで写真に納まるのは式を挙げたばかりの一組みの夫婦。どうぞ末永くお幸せに」といった明治神宮の語りは一見美しいものであるが、そのような光景を、哀しみや憎悪の感情で見つめている旧日本帝国の植民地の人間たちの眼差しには、決して開かれることのない自閉したものである。ここで、彼らの言う国際化をもたらす外国人の範疇のなかに、そのような東アジアで無残な死を遂げた被害者たちの存在が含まれていないことが容易に理解されよう。」(62.)
「このようにして出来上がった共犯関係の空間には、アジアという他者からの批判を受け入れる余地は存在しない。神社参拝を強制させられた、それを拒否したために拷問させられた、それを今の神道界や神社界はどう考えますかという問いを突き付けるアジアの研究者たちは、神道界の資金では国際会議に招聘されない。だが、もし私たちがそのような神道に対して批判的な声を発するアジアの人たちを招いて、そこで神道の将来を考えようといった勇気をもったときにこそ、本当の意味での神道の国際化、すなわち自分が受け入れたくない他者に対する開かれといった姿勢が生まれてくる。そのような動機を彼らにもたせる研究主題の設定 -日本人の自己肯定のために彼らがアリバイとして存在するのではなく、それぞれの外国人の自文化研究にとって神道の研究が意味をもつような主題設定のあり方- ができるようになってこそ、神道の国際化が本当に果たされるのだと言えよう。」(63-64.)

引用文中の「神道」の用語を全て「日本考古学」に置き換えて読み直す必要があろう。
「スペイン語のような「非英語圏」の存在」の中に、東アジアの考古学者たちは含まれているのだろうか?
「日本考古学」を語る文脈において「なぜ欧米だけが国際標準になってしまうのか?」という思いは、単なる「不満」などといった生易しいものではなく、どのような他者の眼差しを意識しているのか、一言で言えば身近な存在が視野に入っているのかという自らの戦争責任に関わる問題である。
戦時期に日本人考古学者によって植民地・占領地でなされた発掘出土品の現状に目を閉ざしたままで、「日本考古学」の「社会化」と「国際化」を絡めながら推進していくことができるのだろうか。
「日本考古学」の感受性が問われている。

「このように、他者の眼差しを自己の裡に折り込んでいく勇気こそが、もし本当に国際化と呼ぶにふさわしい対話を望むならば、いま痛切に求められていることは明らかであろう。」(66.)

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