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安蒜2017『日本旧石器時代の起源と系譜』 [全方位書評]

安蒜 政雄 2017 『日本旧石器時代の起源と系譜』雄山閣

「だとすれば、旧石器時代人が移動していたことを示す、はっきりとした証拠があるはずだ。そして、日本で開発された石器群の個体別資料分析法が、確かな移動の裏付けをとった。」
「このように、同じ原石から打ち割り打ち欠かれたものどうしは、必ず過不足なく元の状態に接合するという、同一原石の接合原則を利用して、遺跡から出土する全石器(石器群)を原石ごとに区分して観察する方法を、個体別資料分析法という。1974年に、著者が考案した石器の研究法である(安蒜1974)。」(120.)

「確かな移動の裏付けをとった」とされる「著者が考案した」「個体別資料分析法」の現在2017年の説明と定義だが、果たしてこれで十分と言えるだろうか。「個体別資料分析法」は単に「原石ごとに区分して観察する」だけの方法なのだろうか? 9年前には、著者自ら「個体別資料」の同時性について「確固とした方法論を欠いている」と述べていたのだが(安蒜2008「総評」『後期旧石器時代の成立と古環境復元』(比田井ほか編2008:204.)
それにしても「接合原則」とは、いったいどのような「原則」なのだろうか? 打ち欠かれたものは接合するという「原則」なのか? それとも異なる原石から打ち欠かれたものは接合しないという「原則」なのか?

「ところでブロックはイエの跡であった。したがって、環状ブロック群は、イエが円を描くようにして建ち並ぶムラの跡でもある。それを、環状のムラと呼ぶ(安蒜1990)。この環状のムラこそ、旧移住民が最初に構えた、日本列島最古のムラの姿であった。」(160.)

3年前に紹介した「イエとムラ」仮説の起源である。

「遺物集中部を無条件に住居や石器製作の痕跡とみなす「月見野仮説」については、世界各地の民族調査例が参照されて否定的な見解(田村2012)が示されているが、母岩識別による三類型区分に基づく製作・搬出・搬入モデルすなわち「原料の二重構成と時差消費」(安蒜1992)という「砂川仮説」についても、本質的な問題を胚胎していることが明らかになった。」(五十嵐2013a「石器資料の製作と搬入」『史学』第81巻 第4号:139.)

2012年と2013年に相次いで提出された砂川批判に対して、本書ではそのカケラも痕跡を見出すことができない。
異なる論考では、ようやく応答があったのだが…

「ただ、こうした議論の前提となる資料解釈の方法や遺物の遺存状態に対する認識に対して、最近になって、五十嵐彰氏(五十嵐2003・2013)や田村隆氏(田村2012)から疑義が投げかけられてもいる。とりわけ田村氏の「遺物集中範囲の多くは、石器製作の場でも、何らかの活動が化石となったものでもない。・・中略・・人為的、あるいは自然の営力で大きく乱されたゴミ溜め以外のものではない」という発言は、根底的なものである。こうした疑義そのものに対する当否の議論も含め、今後の旧石器(岩宿)時代の集落研究にとって、その起点ともいうべき砂川遺跡の資料的補足の必要性が意識されたところであった。」(鈴木 忠司・安蒜 政雄・坂下 貴則・飯田 茂雄 2017 「砂川1968年、補遺「礫群」」『考古学集刊』第13号:50.)

著者も名を連ねる論文では「月見野仮説」批判と「砂川仮説」批判に言及されている。しかしそれはまさに「疑義が投げかけられた」という事柄の指摘だけで、肝心の「疑義そのものに対する当否の議論」に関する筆者らの意見は一切述べられていない。「疑義そのものに対する当否の議論」を素通りして、「砂川遺跡の資料的補足」や「砂川遺跡研究における問題意識の展開とその方法、現在の到達点」、「「個体別資料分析」法と二つの方向性」を述べることができるのだろうか。

おそらく別稿でしっかりとした対応がなされることだろう。

「なお、現代の社会では、男性が石器作りを好み、急速に知識を修得し、技量を向上させるという。旧石器時代も同様だったのではないか。」(138.)
女性は石器作りを好まず、急速に知識を修得することもなく、技量を向上させることもないということなのだろうか。 
マスキュリニストとしての筆者の願望が込められているのだろう。

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