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考古学的撞着論法 [総論]

世に「考古学的撞着論法」(archaeological oxymoron)なるものが存在する。

【経緯】
当初は一般的な敷石住居(SI)として調査していたが、結果として炉の不在および大形石棒の存在を理由として特殊な敷石遺構(SV)に改められた。
「確認当初は、竪穴構造の住居跡(SI1)と認識した。その後、調査の過程で石積みの壁を有し、床に一部敷石をもつことが確認された。しかし完掘時において炉址が検出されず、また床面上に大型石棒が並置されていたことから、遺構種別を住居から敷石遺構(SV1)に変更した。」(12.L)

【論点】
廃絶時説の大前提は、大形石棒が並置されて「SV」とされる以前は「SI」であった、すなわち一般的な住居(SI)を再利用して特殊な遺構(SV)に改変したというものである。
「実態としては、残存するSV1の内外観等にもとづき施設の主軸に合わせて石棒を並べたと考えるのが妥当と思われる。」(131.R)

自らが否定した存在を、今度は自らが証明しなければならない訳である。

そのために持ち出されているのが、かつて遺構中央部に存在した(であろうとされている)敷石の除去である。なぜなら住居跡として利用されていた敷石を除去しなければ大形石棒を並置できないからである。
しかしその証明の困難さは、報告者自らが認めている。
「…敷石除去に関しては遺物出土状況からは確証が得られない。」(131.L)

敷石の除去以上に重要なのが、敷石と共に存在した(であろうとされる)炉の除去である。なぜなら炉こそは住居跡(SI)の必要条件とされているからである。
しかし報告者たちは敷石の除去については繰り返し言及するが、なぜか炉の除去については言及しない。

【撞着論法】
1.「SV」がかつて「SI」であるためには、遺構の中央部に炉が存在しなければならない。
2.しかし、炉は確認されなかった。炉に伴うはずの焼土すら確認されなかった。
 「石棒下面などには焼土は確認できず、本遺構が住居跡ではないと判断されている。」(159.L)
3.だから、炉は除去されたに違いない。それも徹底的に。
4.すると、大形石棒並置の際には、しっかりとした「浅い掘り込み」が設けられたに違いない。
6.しかし、あるはずの「浅い掘り込み」を確認することはできなかった。
 「…発掘調査時には確認できなかったが、4本の石棒を並置するにあたり既存の敷石を除去して浅い掘り込みを設けた可能性を考慮する必要があるだろう。」(18.L)
7.「浅い掘り込み」を確認できなかったのは、敷石や炉石を除去した際に生じる窪みを利用して大形石棒を設置したからであろう。
 「掘り込みについては、石棒が半分埋まっている以上、存在は明らかであろう。ただし、敷石を除去すれば抜き取り穴が残って一定の深度が得られるわけでもあり、意図した掘り込みであるかの判断は保留する。」(131.L)
8.それならば、炉の残存痕跡である焼土が「浅い掘り込み」の底部に確認されるはずである。
9.しかし、炉は確認されなかった。炉に伴うはずの焼土すら確認されなかった(2に戻る)。
 「石棒下面などには焼土は確認できず、本遺構が住居跡ではないと判断されている。」(159.L)
10.だから… (以下略)

【結論】
大形石棒が並置された敷石遺構SV1の中央部に、かつて敷石も炉も「浅い掘り込み」も存在しなかった。
故に大形石棒が並置された「SV」は、最初から「SV」であり「SI」ではなかった。
                                                                                  Q.E.D.

【感想】
「報告にしっかり目を通せば(SV1廃棄時設置について)理解してもらえる」(黒尾2016)というアドバイスに従って「報告にしっかり目を通せば」通すほど、ますます「SV1製作時設置」に引き寄せられていくのはなぜだろうか?
もはや「(SV1廃棄時設置について)説明不足」(同)といったレベルにないのは、誰の目にも明らかである。


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伊皿木

矛盾律:「Aであると同時にAでない」とすることは矛盾しており、常に誤りである。「Aである」が真であれば「Aでない」は偽であり、また「Aでない」が真であれば「Aである」は偽である。この論理法則の実践的意味は、矛盾は排除されなければならないということである。
by 伊皿木 (2017-01-08 18:51) 

伊皿木

もし「浅い堀り込み」が確認されていれば、「緑川東問題」は生じなかったであろう。
もし石棒を取り上げた下面に焼土が確認されていれば、「緑川東問題」は生じなかったであろう。
「浅い堀り込み」が確認されたから、廃棄時説が帰結されたのではなかった。
石棒取り上げ後に焼土が確認されたので、廃棄時説が提起されたのでもなかった。
ここに「緑川東問題」を解く鍵がある。
by 伊皿木 (2017-01-09 10:37) 

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