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砂川闘争 [石器研究]

一つの帰結である。

「出土した石器はすべて石材分類を行い、接合作業を通して、さらに母岩分類を行うという、旧石器時代の慣用的な整理作業の工程をふまえて作業にあたった。ただし、接合作業については、器種分類同様、出土資料を帰属集中部、出土層位といった情報から切り離し、同じ石材に分類した全点の出土石器を対象として行った。その結果、1368個体もの接合個体を得たが、同時に母岩分類における問題点も見出すこととなった。
接合個体を単位に母岩分類を設定していく過程で、例えば、原礫面の残置状況などから明らかに異なる母岩になると推定される接合個体同士を構成する剥片類などの石質を、肉眼観察ではどうしても分離することができない資料が頁岩、チャートを中心に多数存在することが判明したのである。
(中略)
そこで、従来の母岩の概念とは一致しないが、接合作業の工程上は同様の意味を持つまとまりとして、石質細分という用語を用いることとした。
石質細分という用語を用いる理由には、石材をさらに石質によって細分したという一般的な意味もあるが、石材の下位に複数の石質細分を統合した「石質」という分類階層を設けたためである。」(鈴木 美保2015「本巻の構成」『下原・富士見町遺跡Ⅲ 後期旧石器時代の発掘調査(3)出土石器』明治大学校地内遺跡調査団調査報告書7:36.)

言わば「オヒザモト」での帰結であるが、ある意味で「トーゼン」の帰結である。
発端は、今を去ること23年前のことであった。

「石器研究においても、「個体別資料分析」の有効性と限界について、明確な研究戦略上の位置付けを与える必要性があるように思える。」(五十嵐1992「関東地方における石器文化の変遷に対する感想」『石器文化研究』第4号:17.)

何気なく、そしてある思いを込めて発した一文であったが思わぬ反発を招き、以来「有効性と限界」に関する議論がなされることもなく四半世紀が経過したのであった。

「個体別資料:同じ原石から生まれた一連の石器群。完成した石器とその素材とされる目的的剥片、それに調整剥片や砕片といった不要な剥片、さらに原石の残滓となった残核などをたがいに接合して、もとの1つの原石を完全な形で復元することができるひとまとまりの石器群。母岩別資料ともいう。日本で独自に開発された個体別資料による石器群の分析方法は、石器製作技術の観察や遺跡構造の解明など、先土器時代研究の重要な役割をになっている。」(大塚 初重・戸沢 充則編1996「個体別資料」『最新 日本考古学用語辞典』柏書房:114.)

「同一の石塊に帰属する剥片や石核・石器のことを母岩別資料といい、その分析は石器製作技術・石器分布間の関連性・石器の搬入搬出についての追究の手立てとして、埼玉県砂川遺跡の研究を実践としてはじめられた(戸沢編1974)。ブロック間で共通する母岩別資料は双方の有機的な関連性を示し、割られた順序で接合する母岩別資料からは石器製作工程の前後関係も理解でき、ブロックどうしの形成順序も判断される。つまりこの分析を通じブロックを残した旧石器人の動きが理解できるのである。」(堤 隆1997「石器分布図とブロック・ユニット」『考古学キーワード』有斐閣双書、2002改訂版:39.)

「1980年代以降、砂川遺跡ではじめられた個体別資料の共有関係や類型化によりブロック間の関係を明らかにする集落研究が定着した。その結果、各遺跡において砂川遺跡と同様に個体別資料の各類型がみとめられ、原石から石器にいたる製作行為が一遺跡内で完結することはほとんどなく、作業途上の石核や素材・未成品が搬入・搬出されて石器製作作業が継続されていることが明らかとなり、集団は各遺跡で石器製作作業を継続しつつ回帰的な遊動生活をおこなっていたという解釈が定着した。そして、1990年代後半からは、個別各遺跡の遺物分布状態の分析とは別に、各遺跡単位での石器石材の入手から消費という観点からの遺跡間連鎖を明らかにし、領域内での遊動生活の実態を探る研究も進められている(野口1995、国武1999)。」(鈴木 次郎2010「ナイフ形石器文化後半期の居住様式」『講座日本の考古学2 旧石器時代(下)』青木書店:258.)

「1つの石(原石)が割られて石器が作られる際に生じた石屑や剥片、そしてできあがった石器や、石核、その残りかす(残核)などのすべてを個体別資料と呼びます。1つのブロックはいくつかの個体別資料から構成されています。原理的には個体別資料をすべて接合すれば1つの原石に復元されるはずですが、実際には個体別資料ごとに所々がなかったり、石器だけだったり、石屑と剥片だけだったりします。つまり、そのブロックに存在していない個体別資料の部分は、併存するほかのブロックやほかの遺跡に存在しているはずです。このような検討を積み重ね、その結果をつなぎ合わせることによって、<いく種類かの石材を異にした石器や石核、剥片、原石を携えた集団が、「ある場所」にやってきて、そこで滞在している間に、持ち込んだ原石や石核から剥片を剥がし、また剥片からは石器を製作し、あるいは石器の手入れをした。やがて、不要となったものはその場に放置・廃棄し、必要なものを携えて、再びその場所を去って行った>という過程が復元されました。」(小杉 康2011「旧石器文化」『はじめて学ぶ考古学』有斐閣アルマ:164-5.)

私的には、以下の一文をもって「砂川闘争」については、「投了」である。

「「非常に微細な(小指の爪より小さい程度の)剥片や石器の調整剥片」(戸沢1968:16頁)である砕片を含む全ての石器資料を同一であるという母岩別に区分するのはもともと無理があり、なおかつそうした砕片が存在したかどうかによってその母岩資料がその<場>で製作されたのか搬入されたのかという行動解釈の根拠とするのはなおさら無理があり、本来7つの類型に区分すべき母岩類型をわずか3つに区分して全てを説明する「砂川モデル」は甚だしく無理があると言わざるを得ない。」(五十嵐2013「石器資料の製作と搬入」『史学』第81巻 第4号:138.)

「下原・富士見町遺跡」で提示された石材―石質ー石質細分(-接合)という新たな分類体系は「階層」をなすにも関わらず、与えられたそれぞれの記号(番号)は各項目間において連動していないという従前から指摘している問題(五十嵐1998「考古資料の接合」『史学』第67巻 第3・4号)あるいは「石質細分」というカテゴリーがどのような意味を与えられているのか(単なる「接合作業の工程上」の役割だけなのか、それとも「先土器時代研究の重要な役割をになっている」のか)といった問題の他にも、石器の最小個体数算定問題など幾つか論及すべき点もあるが、それらは今年度中に順次刊行されるという残りの諸分冊を待って改めて論評することとしたい。


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