SSブログ

戸沢充則『考古学の道標』 [全方位書評]

「考古学の道標」編集委員会編2014『考古学の道標(みちしるべ) -考古学者・戸沢充則の軌跡-』新泉社.

「考古学的な成果に一つの体系を与え、それを骨組みとして歴史的な叙述を行うためには長い年月が必要である。そうした目標に向って性急であっては決してならない。考古学的な手段、方法論的な中間項を抜きにして、結果を急いだ学説や歴史叙述の「週刊誌の記事」のようなはかなさを、われわれはいくつか例にあげることができる。研究者としてわれわれがなし得ることは、いま、行っている考古学上の仕事が、いかに次元の低い段階での、そして独創的な学説や理論にとぼしい研究であっても、その基礎的な作業が発展して行く方向に見通しをもった、意識的な研究の蓄積でなければならない。」(戸沢1965「先土器時代における石器群研究の方法」:105.)

正しい見通しを持つことほど、難しいことはない。
それから35年後、「日本考古学」は「週刊誌の記事のようなはかなさ」どころではない激震に見舞われた。
「日本考古学協会の検証調査のために特別委員会の責任者に任ぜられた私も、一研究者としての反省と自責の念にさいなまれつつ、…前途に自信を失う日々を体験していた。」(戸沢2005「信州最古の旧石器を観る」:192.)

「先土器時代における石器群研究の方法」については、「文献解題」では以下のように記されている。
「そして、戸沢は、このインダストリー・カルチュア論を埼玉県所沢市の砂川遺跡や神奈川県大和市の月見野遺跡群の調査と研究で実践し、旧石器時代遺跡の構成や石器群の構造を明らかにするなど、佐藤宏之が、”戸沢パラダイム”と形容し、田村隆が「これは日本旧石器学が到達した、掛け値なしに世界的な業績であった」と評価したように、その後の旧石器時代研究の定点となるような大きな影響をあたえていくことになる(佐藤宏之『日本旧石器文化の構造と進化』柏書房、1992年。田村隆「石器石材の需給と集団関係」『講座日本の考古学』2巻、青木書店、2010年)。」(勅使河原 彰・三上 徹也「文献解題」:209-210.)

佐藤1992では、「戸沢の研究方法は、…非常に重要な成果と言わねばならない」としつつ、「しかしながら」という反語に導かれて「この体系的研究方法は、1960年代を通じてほぼ完成されたため、今日の日本旧石器研究の現状においては、研究水準の確保・発展というよりも、むしろ、長期間にわたり繰り返された反復的な研究行為の結果、停滞と画一化を招いてしまい、正よりも負の効果がしだいに増大しつつあるとも考えられる(佐藤1991a)。」(23-24.)とむしろ「正よりも負」の評価を下しており、「定点」というよりも「克服すべき対象」として捉えていたのではなかったか。
また田村2010も、そこでは「掛け値なしに世界的な業績」と記されていたが、現在では「労多くしてほとんど稔りのない」「素朴で不自然な前提は根本的に否定されている」(田村2014)と「根本的に否定されている」。

「実は阿久遺跡の問題は、現在突然にふって湧いた問題ではなく、そのよってくる根は深い。それは戦後の、とくに1960年代以降の高度成長経済政策による文化財の大量破壊と、その現実に対して、学問的良心をもって十分に対応しきれなかった研究者の意識の間に生じた、矛盾として顕現した問題なのである。いや、そればかりでなく、明治時代以来一世紀の間、学問の世界の周辺におこったさまざまな現実の問題、例えば侵略戦争にさえ眼をつぶり、神話に代わる科学的原始・古代史研究の役割を自ら放棄するといった、無節操で無思想的であった日本考古学の体質と、深くかかわる問題でもあると考えられる。」(戸沢1978「藤森考古学の現代的意義」:134.)

冒頭の「阿久遺跡の問題」をそのまま「文化財返還問題」という言葉に置き換えることができる。
ここでも「地人たちの彷徨」(福田2007)や「全ての発掘を中止せよ」(北郷2007)という視点(『考古学という現代史』)が欠落していることは「日本考古学の体質と深く関わる問題である」ことを確認することができる。

「こうしたなかで、文化財の保護や、調査・研究に対しては、開発優先の立場に立った「通達」等で、調査・研究の省力化をうながすなどのしめつけを加えている。文化財に対するそのような政治・社会的風潮は、発掘現場、発掘調査を担当する行政機関や組織、成果の公開や報告書の内容等々、さらに研究・教育の機関である大学や研究所の内部にいたるまで、さまざまな問題を生み出し、いまやその矛盾の拡大は危機的な状況にまでいたっていると認識せざるをえない。」(戸沢1989「開発優先の発掘調査に反対し日本考古学の自主的発展を堅持するための声明(案)」:146-7.)

当時から四半世紀にわたって「危機的な状況」は継続しており、ある意味で悪化の一途をたどり、ある意味で「危機的」であることに慣れてしまった「麻痺的状況」とさえ言える。
「しかし、日本考古学協会は、その声明(案)を継続審議とし、結局はうやむやに終わらせてしまったのである。」(勅使河原・三上「文献解題」:212.)
むべなるかな。

「いまわれわれのまわりは、遺跡がこわされる、だから遺跡を掘るということが、常識のように日常的現実となっている。こわすために掘る遺跡の発掘、そのことに日常的に追われる研究が、どうして民族の歴史と民族の将来を見通すことのできる考古学といえるであろうか。いまわれわれに求められている学門観の転換は、「掘るだけなら掘らんでもよい」発掘によって、日本考古学と研究者が退廃と堕落の危機にさらされていることを自覚することから始めなければならない。」(戸沢1978「藤森考古学の現代的意義」:143-144.)

発掘経費の原因者負担という埋蔵文化財行政の根底を規定している制度に手を付けない限り、こうした現状は必然とも言えよう。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0