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山中2012「型式学から技術学へ」 [論文時評]

山中 一郎 2012 「型式学から技術学へ」『郵政考古紀要』第54号:1-41.

「…筆者は癌を患い、手術後を、抗癌剤投与の化学療法を数次にわたって受けている。本稿は入院中のベッドで執筆している。勉強が十分でないことも承知しているが、まともにフランス語が読めないのに仏文論文が引用されているばかりか、その研究方法の誤解のうえに立つ研究申請に、多額の科学研究費が交付されるのを知り、解明課題と、その迫り方のセットとしての提示を求めることは緊急を要すると思った。そこで先の短い可能性を見つめる身としての思いを素直に記しておこうとした次第である。読者諸賢のご寛恕を乞います。」(40-41.)

故人最後の力を振り絞った遺言である。

「それでは考古学は、確実なところ何を論じることができるのであろうか。ペトリ―の言った意味での(技)術、泉さんの言う調査技術と研究技術の駆使は実際になされ、それが考古学研究として示されている。歴史叙述するに、その理論的根拠が示せないのならば、考古学を冠する個々の研究が、その解明課題と迫り方をまず示すのが当面の必須行為ではないだろうか。ペトリ―の言う、Method[(技)術]とAim(解明課題)を明示すべきであると言いたい。
考古資料の多くを占める物質資料については、その製作行為の想定復原は、解釈に過度に頼ることなく、検証的な議論ができる。と言うよりも、解釈してできる復原像は、考古資料によって検証することができるのである。モノ作りには、その製作を通じての動作連鎖が固定的である頻度が高いからである。あの品物はこのようにしてでしか作れないといった類の表現に示される動作連鎖がある。それほどに固定度の高い動作連鎖ほど、考えてみれば、過去と現在を繋ぐミドルレンジだったのである。」(26-27.)

として、両面細部調整尖頭器といった石器作りから瓦塼資料へと分析対象を広げていくことになる。石器的な<もの>から土器的な<もの>へ、道具から部材へ、技術学という視点による異なる素材・カテゴリー間の構造研究。しかし、それは未完のまま、後学の手に委ねられた。

個人的には「あまりに無邪気な論文」(31.)あるいは「大学祭の催しのような試み」(32.)と酷評された共同研究「石器製作におけるハンマー素材の推定」『第四紀研究』41-6(2002)について、正に筆者のいう「解明課題に適切な方法(手順)の吟味を欠いているのではないか」(32.)との指摘をそのまま受け止めざるを得ない。共同研究に参加していた当時から懸念されていた問題点が適確に指摘されたとの思いである。そうした欠点を有していたがために、継続する研究もなされなかったと総括されよう。

「…そこには資料認識の問題がある。そこを無視して、具体的な研究課題を作文したところで、研究費の無駄使いに終わるのは必定である。日本考古学が避けてきた「方法の問題」に真正面から取り組むことが求められているのである。そしてすでに明らかにされているところを学び、未だ欠落している部分を「課題」として抽出して、彼我の研究が一体となって、意味ある成果を蓄積していかねばならない。そのような研究課題が日本考古学のなかで一定の位置を占めるように、「勉強」がなされることを願って止まない。」(41.)

「勉強」は嫌いだが、「方法の問題に真正面に取り組む」という「研究課題が日本考古学のなかで一定の位置を占めるように」という故人の願いは、正に第2考古学の主張そのものである。


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鬼の城

山中さんは死去される前に「日本考古学への遺言」と言う総括的な文章を書いています。これは、「日本考古学が終わった」と言うべき提言であり、異貌31号に「遺言」全文と私の解題を掲載しました。

それと、今回の協会総会の「委任状が少ない」ため、協会不成立になりかねないということで、協会は「委任状集め」に必死になっていましたが、これも、埋文行政にパラサイトしていた協会や日本考古学の当然の宿命と思います。


by 鬼の城 (2014-05-15 08:34) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

今から6年前に12年前に発表された山中2002「ナショナル・アイデンティティと「日本考古学」」という文章を取り上げて、原因者負担制度について議論したことがありました【2008-10-02】。その後、こうした主題の研究集会が開催されたという情報に接していません。「日本考古学」の中毒症状は一向に改善されず、もはや末期的な状況に至っているようです。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2014-05-15 12:30) 

鬼の城

成澤論文の一読を薦めます。戦後は戦前と連続しており、敗戦意識は15年戦争に限定されているが、実は「王政復古」以来77年間もあり、それは未だに継続している、と言うのが論文の主旨です。

無論、その歴史に対する反省などもなく今日「右傾化」と言われているがそれ自体が戦前から現在まで貫いているイデオロギーであるということです。―「反大日本帝国コンセンサス」の確立に向けた思索のために―
http://chikyuza.net/archives/44410
by 鬼の城 (2014-05-15 19:52) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

個人的には「国家間のレベルの問題は取り扱わない」と表明した全国的な考古学者組織の認識(議案第143号問題)を問い続けることになります。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2014-05-16 05:33) 

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