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勅使河原2013『考古学研究法』 [全方位書評]

勅使河原 彰 2013 『考古学研究法 -遺跡・遺構・遺物の見方から歴史叙述まで-』新泉社

 最新の考古二項定理が示されている。
「遺物が特定の場所に限定されない可動的な物的遺存体ということで、いわば「動産」に例えるとすれば、遺構は特定の場所と不可分の関係にあって、もともと特定の場所と分ちがたい不可動的な物的遺存体という意味からすれば、遺構は「不動産」といえる。
このように人類が残した物的遺存体には、大きく分けて「動産」としての遺物と「不動産」としての遺構がある。これらの遺物と遺構が組み合わさって、一定の機能・用途をもった場所として残されたものが、考古史料でいう遺跡である。」(27.)

そして「状態変容論」である。
「つまり個々の日乾し煉瓦は遺物であるが、それが積み上げられることによって、個々の煉瓦は遺構の一部となって、全体として家屋という遺構を構成することになる。」(122.)

個々では遺物、積み上げられれば遺構にと、その状態によってカテゴリーが変容する訳である。
しかし日乾し煉瓦に限らず、炉石も積石塚の積石も、そのように私たちが名付けた、名付けられた時点で、その状態に限らず、一貫して「部材」なのではないだろうか?
どのような状態で見出されようと。

「貝塚を例にとると、そこから出土する貝殻は遺物である。それは前述したように、その貝が誰に採補され、誰に捨てられようと、その貝が食料に供されたという点では、同じ役割をもっていたからである。しかし、その貝が食用とされ、貝殻が他の遺物とともに特定の場所に捨てられ、堆積してはじめて貝塚となるわけであるが、貝塚は特定の場所と離れては形成されないので、貝塚は遺構となる。」(27.)

貝塚の貝殻(自然遺物)を、人為物である土器片に置き換えてみよう。
土器片は遺物である。土器片が特定の場所に捨てられ、堆積してはじめて遺跡となるわけであるが、遺跡は特定の場所と離れては形成されないので、遺跡は遺構となる? 
何かが、おかしい。

「このように、接合は、時間と根気のいる気の遠くなるような作業ではあるが、その成果はただ単に土器の形を復元することにとどまらず、接合した破片の出土位置の検討から、その土器がどのように遺跡に残されたのかを推測することもできる。」(47.)

確かに「気の遠くな」った経験を有する人も多いだろう。ならば、なぜ「気の遠くなるような」思いをしてまで、そんな作業を行なっているのか、もっと説明がなされて然るべきである。
例えば、土器接合と石器接合は、どこがどのように異なるのか?
(答えは、五十嵐2002「型式と層位の相克 -石器と土器の場合-」『旧石器時代研究の新しい展開を目指して -旧石器研究と第四紀学-』日本第四紀学会・日本学術会議第四紀研究連絡委員会共催シンポジウム2002:16.に)

「ここでは、一応の認識の順序として、型式論的研究と層位論的研究を切り離して考えてみたが、実際の研究では、両者を機械的に切り離すことは困難な場合が多い。つまり実際の研究過程では、型式論的研究と層位論的研究は切り離されておこなわれているのではなく、型式論的層位論、あるいは層位論的型式論として、両者が一体となっていることは、研究の現状が示していることである。ということは、型式論的研究と層位論的研究は、いずれか一方が優先するというのではなく、両者が相互に補完しあってこそ、はじめて考古学の方法論としての本領を発揮するといえるのである。しかし、時間の新旧という認識論では、型式論的研究でえられた認識よりも、層位論的研究でえられた認識のほうが、相対的に高次のものであるということはできる。」(63.)

「図29 蜆塚貝塚の層位的出土例」という図が示されているが、これを見て想起するのは層位概念の2つの違い、旧石器的文化層概念と一般的文化層概念の混同である(五十嵐2000「「文化層」概念の検討」『旧石器考古学』第60号)。
さらに痛感するのは、型式論なるものは製作時間を、層位論なるものは廃棄時間を表現しているという考古時間に関する根本的な認識の希薄さである(五十嵐2011「遺構時間と遺物時間の相互関係」『日本考古学』第31号)。

「考古史料は、形態論的研究、型式論的研究、層位論的研究、分布論的研究、編年論的研究、共存論的研究をへて、はじめて歴史史料となるのである。つまり考古史料は、この史料批判的方法によって、歴史的事実となる。」(72.)

本書は、あくまでも「歴史」という枠組みの中に考古資料を位置付けるという第1考古学的スタンスで貫かれた『考古学研究法』であり、「考古学的構想力」(トーマス2012『解釈考古学』)と共振する第2考古学的志向性とは異なることが確認される。

最後に、些細な脱字の指摘を。
「そして、細長い剥片(石刃)を連続的に打ち剥がす、いわゆる石刃技法と呼ばれる剥片剥離技術の最古のものは、南アフリカで確認されており、その年代は約7年まえである。」(87.)

いくら、なんでも・・・


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