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殿平2004『若者たちの東アジア宣言』 [全方位書評]

殿平 善彦 2004 『若者たちの東アジア宣言 -朱鞠内に集う日・韓・在日・アイヌ-』かもがわ出版

「わかったことは、この現場は、残るも去るも自分の意志では全く不可能なところだということだ。間沢の駅前から鉄索のバケツに乗る以外にはこの現場は完全に外界と遮断されている。岩肌がむき出しになった現場の周囲は延々とした森林が続き果てることなく遠方の山脈に続いている。鉄索のバケツにしがみついていた一時間ほどの間に、山の深さは身にしみて実感している。町と山を繋ぐ山路があるのかもしれないが、朴さんには見当も付かない。なるほど、ここなら確かに南方に連れていかれることはない、その代わりこの現場で次々と労働者が死んでいく。
朴さんが現場で働きだして間もなく二人の死者が出た。遺体を焼くにも十分な乾いた薪もない。岩だらけの山頂で工事用の鉄板の上に遺体を載せ、わずかな石油をかけて火をつける。生焼けの死体が飯場の裏に捨てられた。焼けてゆく死者のにおいが妙にいいにおいだったことを憶えている。死者の墓標もない労働現場だった。
仕事が終わり、夕飯の後、飯場の裏を歩いていた朴さんは、息をのんで立ちすくんだ。岩と岩の間に白骨化した頭蓋骨や大腿骨が散乱していた。
「南方へ持って行かれはしなくとも、ここは俺の死に場所だ。ここで死ぬんだ。」
そう思った朴さんは、静岡以来持ち歩いてきた自分のセンベイ布団に包まって声を殺して泣いた。

この現場で働いて夏が終わり、10月が過ぎるころだったろうか。部屋は寝静まって夜の10時をまわっていた。隣で寝ていた先輩の朝鮮人が布団の中で声を殺して泣く朴さんに朝鮮語で声をかけた。
「ぼうや、いつも泣いているな。そんなにこの山を下りたいのか?」
かけられた声に驚いた朴さんが顔を上げると、そこに40代とも思えるその男が座っていた。体格は小柄だが、落ち着いた顔に目はしっかりと据わっている。隣に寝泊まりしながら、ほとんど話す声すらも聞いたことのない男だった。鑿一本で鉱山から鉱山へと渡り歩く先山専門のわたり職人だ。顔をのぞき込まれた朴さんは思わぬ相手の態度に声すらも出なかった。
「どうなんだい、ぼうや、山を下りたいのかい?」
もう一度、尋ねられた。静かな落ちついた声だった。唾を何度も飲み込んだ朴さんは、ようやく「はい」と返事をした。あまりに緊張していた朴さんは、ほとんど口を動かすことができなかった。
「わかった、俺に任せなさい。ぼうやは黙っているんだよ。」
男がそう言って、二人の会話が終わった。
暫く静かな時間が流れた。隣に寝ていたその男が起き上がって布団の上に座った。窓から射す月の光が、男の顔を半分照らしている。男との会話が終わった時から緊張のあまり眠れなくなった朴さんは、男の穏やかな動きにも敏感に反応して目を開けた。男はトランクを引き寄せ、中を開けた。中から白い晒を出して腹に巻いた。次にトランクの底を探って何かを手にした。木鞘に収まっている匕首だった。窓から射し込む月の光の中で半分ほど引き抜いた。刃が月の光に鈍く光った。男は少し刃を見つめると、再び鞘におさめ、それを晒に納めた。
この光景を見た朴さんは、心底驚愕した。しかし声は出なかった。出せなかった。男は朴さんのほうに顔を向けた。目と目があった。
「ぼうや、じっとしているんだよ。心配するんじゃない。動いちゃダメだよ。」
男はそう言うと、印半纏を羽織って部屋を出た。親方の部屋までは長い廊下が一直線に続いている。男はそこに向かって歩いていく。おじさんは、どこへ行くんだ、親方を殺しに行くんだろうか? そう思った途端に、朴さんも立ち上がった。がくがくと足が震えた。
男がどこへ行こうとしているのか、何をしようとしているのか、どうしても知りたかった。男の後を追って廊下に出たが、足がすくんで立って歩くことはできなかった。四つん這いで暗い廊下を這いずりながら、男の後を追った。朴さんが親方の部屋の前に来たとき、男はすでに親方の部屋の中に入っていた。そこで朴さんが見た光景は、映画の一場面のような鮮やかで恐ろしいシチュエーションだった。
男は、大の字になって寝ている大男の親方の胸のあたりに馬乗りになった。と同時にスラリと匕首を抜いて親方の頭上に振りかざし、すっと降ろし、喉仏の前で止めながら低い声を掛けた。
「おい、起きろ。」
目をさました親方の鼻先に小刀は光っている。親方は馬乗りになっている相手がだれかをすぐに見抜いた。
「親方、あんたにどうしても聞いてもらいたいことがある。」
男の声は、一段と低音の朝鮮語になり冷静な態度が声の調子を抑えていた。親方が声を出した。
「なんなりと。」
男が言った。「部屋で俺の横で寝ている若いのを山から下ろしてやってほしい。頼みは、これだけだ。」
「分かった。約束しよう。」
親方のこの声が出た時に、男はすっと親方の布団の上から降りた。刀を鞘に納めて正座した。刀を畳の上に置いて、「立場もわきまえず、大変無礼なことをしました。お許し下さい。」と言って深く頭を下げた。親方の部屋を出た男は、四つん這いになっている朴さんに目もくれずに部屋へ歩いて帰る。朴さんは震えの止まらぬ足を引きずりながら、やはり四つん這いのままで男の後に続いた。
その出来事から三日目の朝、朴さんは、部屋の帳場から賃金を受け取り、現場から下って行く鉄索のバケツの前に立った。賃金の支払いを受けるとき、帳場の係りが握り飯を五つ、タバコのバットを三箱、そして牛肉の缶詰数個を朴さんに手渡した。朴さんは、その風呂敷包みを抱えて下りのバケツに乗り込んだ。鉄索の前に、おじさんが見送りに来ていた。
「おじさん、今度いつ会えるの」と訊ねる朴さんに、男はにやっと笑って何も言わなかった。バケツが動き出した。朴さんの目から、涙が一気に噴き出した。泣きじゃくりながら離れていくバケツのなかで「おじさーん」と叫んだ。男が言った。
「ぼうや、元気でやれよ。死ぬんじゃないよ。」
名前を聞くこともできなかった。聞いても教えてくれなかっただろう。
「名前は、元某といったように思う。それしか覚えていない。」
あの時から60年経った。今、朴さんが覚えている山形での出来事のすべてである。」(105-109.)

1月5日の札幌での発表に備えて入手した資料の一節である。
1986年に山形で発掘をしていた<遺跡>のすぐ近くで、あの時からわずか43年前にこのような出来事があったなんて…
何も知らずに、ただ発掘をしていた。
わずか43年前の出来事だったのに…


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