SSブログ

石井2012「集落址研究と時間尺度」 [論文時評]

石井 寛 2012 「集落址研究と時間尺度」『考古学研究』 第59巻 第2号:29-42.

「集落址研究の「見なおし」にあって、細かな時間単位による検討は最低限の手順となる。折しも、80年代以降、資料の急増に伴って、土器の細分作業が時期・地域を問わずに急速に進展していた。「土器型式期と住居期の示す不整合性」の問題は容易に解決されない課題ではあるが、ともかく細分が進められた土器を活用した集落址の分析が試みられる必要がある。」(34.)

ここで引かれている「土器型式期と住居期の示す不整合問題」は、桐生直彦1989「住居址間土器接合資料の捉え方」『土曜考古』第13号:16.に由来しており、その桐生1989では「埋設土器の「時」と住居構築の「時」を直接結びつけて考えることができない場合がある」という金子直世1988「時間差のある土器を埋設した住居2例」『東京考古』第6号:94.に由来している。
そして「埋設土器の「時」あるいは「土器型式期」とは取りも直さず「遺物製作時間」であり、住居構築の「時」あるいは「住居期」とは「遺構製作時間」なのである。

「私たちに与えられた課題は、遺構時間と遺物時間をいかに関係づけるかという点にある。そこには<場>と<もの>という異なる次元の時間的隔たりと共に、製作時間と廃棄時間というそれぞれ同一次元内における時間的隔たりが存在しており、双方の懸隔をどのように架橋するかということが課題となる。」(五十嵐2011「遺構時間と遺物時間の相互関係」『日本考古学』第31号:39-53.)

<場>と<もの>における製作と廃棄の相互関係について最も基本的な24パターンを考えたが、ここではさらに複合的な事例が示されている。

「しかし、この吉祥山遺跡例では、留意すべき点も示された。7号住居址が4号住居址よりも新しいとの示唆は、細別が進んだ現在の土器細分論の立場からも追認することができる。しかし、問題は7号住居址よりも新しい5号住居址の覆土中にも、同一個体の口縁部破片が含まれていた点にある(5とされる3片)。4号住居址と5号住居址の覆土中に遺存した破片群には、火熱を受けた痕跡が認められず、炉に埋設する際に打ち欠かれていた可能性が高い。しかし、7号住居址よりの新しい5号住居址覆土中に、そうした土器片が含まれていたということは、この程度の大きさの破片は、打ち欠き後、どのような経過を踏んだにせよ、新しい住居址の覆土中にも混入する可能性があり得ることを示している。」(32.)

勿論、筆者あるいは筆者が参照する桐生氏のいう「流入」すなわち「住居の周囲などに廃棄されて散乱していた遺物が、自然営力や人為的な埋め戻し・貼床施工などによって竪穴内に入り込んだもの」(桐生1989:3.)という可能性も高いが、何よりも遺構時間と遺物時間の齟齬から発生しうる可能性をも考慮しなければならないのではないか。
すなわち、吉祥山遺跡の4号住-5号住の埋設土器が示す遺物関係は「異時期製作-同時期廃棄」のタイプC、4号住-7号住関係は「同時期製作-異時期廃棄」のタイプB、そして5号住-7号住は「異時期製作-異時期廃棄」の逆順関係を示すタイプEとなる(五十嵐2006「遺構論、そして考古時間論」あるいは五十嵐2010「統一<場‐もの>論序説」)。このタイプE(逆順関係)こそは、濱田1922『通論考古学』で「錯倒ある並行」として留意されていた現象なのである。
やや複雑なこうした相互関係についても、<場-もの>製作-使用相関図(五十嵐2011:42.)という線分表示を作成することで容易に理解することができるようになる。

「しかし、上で観察してきたように、その実践には多くの課題があり、同一の研究基盤構築への道は遠いとせざるを得ない。」(41.)
「同一の研究基盤構築への道」を見出すには、何よりも自らの第1考古学的な研究対象に自閉することなく、より広範な領域を見渡す努力が欠かせないであろう。
例えば、今回論考が発表された媒体には、4年前に本論と密接に関連する論考(浜田晋介2008「弥生時代の重複住居からみる集落の動態」『考古学研究』第55巻 第1号:27-46.【2009-1-28】も参照のこと)が掲載されていたにも関わらず、全く言及なしである。
向こうからは、以下のような問い掛けがなされていたにも関わらず。

「石井氏は住居の重複が「連続的・瞬時的でなく、「非居住期間」を挟んでのちなされるという推察は、旧住居(中略)が人為的ではなく、ある程度まで自然に埋まったのちに、同一地点に新に住居の構築がなされている事実から導き出されてくる」(石井1977:p2)として、縄文時代研究には時間的不連続を見るが、弥生時代には適用しない。縄紋時代の集落研究と弥生時代の集落研究に見られるこの違いは、戦後の研究のなかで前者が狩猟採集民であり移動を想定しやすいのに対し、弥生時代は水田農耕に代表される農耕社会で、生産地に縛られる集落である、という前提が一つの原因であると考える。」(浜田2008:43.)

浜田2008では明示されていない石井1977における「移動論弥生時代不適用」とは、以下の箇所を指しているものと思われる。
「なお、弥生時代や古墳時代における住居の反復・拡張・重複については、その生産基盤の違いから理解されねばならない。以上述べてきた論とは異なるのは当然である。」(石井1977「縄文社会における集団移動と地域組織」『調査研究集録』第2号:15.)

「集落址研究と時間尺度」という研究テーマにおいて、そこには時間的な限定句(例えば「縄紋時代の・・・」といった)は付されていないのだから、旧石器も弥生も果ては近世も近現代に至るまでもその取扱いに違いはないはずである。仮に対象資料における生産基盤が異なっていようと、堆積土層が人為的な埋土なのか自然堆積なのか、あるいは「<もの>が示す同時性、特に究極的な細分が進んだとしても常に一定幅を有することが原理的に宿命づけられている同型式関係と時間的により限定される接合事象については、両者が示す製作時間と廃棄時間という時間性の違いと共に、<場>における<もの>の在り方の違い(層中関係か層中‐面上関係か)そして<もの>が結びつける<場>の在り方の違い(単独か離散か、あるいは減重複か)によって、<もの>が示す同時性という意味の違いが明らかになる」(五十嵐2011:49-50.)といった考古学的な「時間性」を巡る議論について違いはない。
しかしここでは「同一の研究基盤構築への道は遠い」とされて、関連する隣接領域でなされている研究について言及されることはない。
「議論の積み重ねの行き先が見えないという現実が、我々の視野を遮っている」(41.)というのは、ある立場からのある見方でしかないように思える。
「その時々における見通し」は、決して「縄文中期集落址の構成や、中期社会の枠組みに関する」ものだけではないはずである。
願わくは、より一般的な見通し、すなわち「遺構時間と遺物時間の相互関係、すなわち発掘調査という<場>で日々取り扱われている<場>と<もの>に関する考古学的な時間論理に関する思考内容を豊かにしていく」(五十嵐2011:51.)といった「議論の積み重ね」がなされて、「行き先」が見通せるようになることを期待したい。


タグ:考古時間
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0