SSブログ

保刈2004『ラディカル・オーラル・ヒストリー』 [全方位書評]

保刈 実 2004 『ラディカル・オーラル・ヒストリー -オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践-』御茶の水書房

「グリンジ・カントリーに暮らしていると、我が家(home)のもつ物理的広がりは、建物としての家(house)をはるかに超えてしまう。私の経験では、グリンジの人々は、コミュニティに建っている家(中略)を、いわば物置・倉庫程度にしか利用していない。かれらは家の中にライフルや食器やマットレスといったものを収納しているが、自分たちは一日の大半の時間を野外で過ごしている。料理、食事、テレビ鑑賞、雑談、子供の世話などの日常生活は、すべて屋外でなされているし、屋外で就寝している人も多い。建物としての家は、単なる物置である。
建物としての家が物置だとしたら、コミュニティ内部の屋外空間は、何にあたるだろうか? 私は、コミュニティの屋外が、グリンジの人々のいわば「居間」にあたるのだと思う。人々はそこで、食事をとり、団欒をし、テレビを見たり昼寝をしたりする。こうしたコミュニティは1960年代以降少しずつ拡充されてきているので、グリンジの人々は、現在ではこの「居間」から一歩もでることなしに、たいていの用事を済ますことができる。」(70-71.)

もちろん時空間的な隔たりを考慮しなくてはならない。それにしても「目からウロコ」である。もし私たちが「住居跡」とか「ブロック」などと呼んでいる痕跡単位が単なる「物置」で、実際に居住されている空間である「居間」は集落全体に広がるとしたら、それが例えば「中央広場」などと呼んでいる空間だとしたら、いったいどのようなことになるだろうか。「ブロック」と呼ばれる石器集中部が「イエ」だとか、「環状ブロック群」から「ムラの構え」だといった言説は、殆ど意味をなさなくなるだろう。
縄紋時代の竪穴建物跡にしても、炉の存在から何となく現在の核家族・一家団欒的なイメージを投影しているが、果たしてどの程度の根拠があるのか、何か大きな思い違いをしていないか不安になる。

「キャプテン・クックはアボリジニの人々に対してフェア(fair go)じゃなかった。
人々に、「元気かい」と言わなかったし、「こんにちは」とも言わなかった。
なぁ、わかるだろう。
みんなが、フェアじゃなきゃいけない。
私たちはみな、人間なんだから。
キャプテン・クックには自分の土地があった。
それは大イングランドだ。
そして、アボリジニの人々にはノーザン・テリトリーがあったんだ。」(「ホブルス・ダナイヤリの独白」より:94.)

キャプテン・クックもマゼランもコロンブスも、初めて出会った人々に「元気かい」とも「こんにちは」とも言わなかった。
1869年にアイヌモシリを一方的に「北海道」と名付けた人々も。

本書は、単に民族誌的な知識を増し加えることを目的に書かれたのではない。それならば、単なる「オーラル・ヒストリ-」である。
本書は、「ラディカル・オーラル・ヒストリ-」である。どういうことか?
著者はあるアボリジニの老人からある逸話を聞く。すなわちジョン・F・ケネディがノーザン・テリトリーを訪れて、「イギリスから来た人々にひどい目にあっている」というアボリジニの訴えを聞いて、アメリカはアボリジニに協力することを約束したという「有り得ない」話である。
問われているのは、こうしたエピソードをどのように受け取るかという私たちの態度決定である。単なる妄想や神話として歴史学から排除するのか、あるいはアボリジニのある種のメタファーとして解釈するか、しかし著者はそのいずれをも退ける。

「尊重するとはどういうことか? たとえば、「アボリジニの人々は、ケネディ大統領がグリンジの長老に出会ったと信じている」と記述する歴史学や人類学は容易に可能なわけですよ。実際、呪術や信仰を論じている人類学の研究報告のほとんどが、霊的、呪術的、神的な経験を「…と見なされている」とか「…と信じられている」といったふうに記述しています。このエスノグラフィーの伝統はおそらく、フレイザーやレヴィ=ブリュルの時代からポストコロニアル批判をへたはずの現在にいたるまで、脈々と受け継がれているのではないでしょうか。でも、この記述法は、知識関係の不平等を無自覚に隠蔽していないでしょうかね。たしかにかれらの信念を尊重しているけど、「尊重」という名の包摂は、結局のところ巧妙な排除なんじゃないでしょうか。だってケネディ大統領が実際にアボリジニの長老に会ったなんて、研究者は誰も思っていないんだもん。思っていないんだけれども、「それはそれとして大切にしてますよ」というジェスチャーだけはしている。」(26.)

これは大変なことである。
「歴史の限界とその向こう側の歴史」を見据えた一歩である。
「賛否両論・喧々諤々」である。
本書の元となった博士論文に対しては、「リスクを恐れない挑戦を強く支持すべきであると信じている」「熱意を込めて推薦する」との評価がなされて学位が授与されたが、その学位論文を出版するために英語圏のある大学出版会に送付したところ、査読者から「誤りと誤解に満ちている」アボリジニの語りを採用することで真実を犠牲にして連帯に譲歩し過ぎているとの評価により出版は拒否された。

全く困難な問題である。
本書に文章を寄せているテッサ・モーリス=スズキもアボリジニの「非合理的」な説明を受け入れるならば、創造説のキリスト教原理主義者も、ホロコーストを否定する修正主義者も受け入れざるを得なくなりはしないかと疑問を呈する。
著者も絶対の自信をもって「非合理的」説明の受容を「言いきるつもりはない」という。しかし、

「ただそこの問題を粘り強く考えていくことが、もしかしたら歴史学や人類学の新しい課題なのかもしれないと思っています。つまり、排除でも包摂でもない歴史叙述やエスノグラフィーの方法はあるんだろうかっていう問いですね。そこで、異なる歴史時空どうしが「接続する」あるいは「共奏する」方法を模索してみる、というのはどうでしょう。」(27.)

「重要なのは、こうした「危険な」歴史理解のあり方を即座に拒絶すべきでも、エキゾチックな新たなる真理の啓示として、ただちに受け入れるべきでもない(この点は、やはり重要だとわたしは思う)。(中略)ミノ・ホカリはわたしたちを、長い、ゆったりとした、聞き慣れない経験との対話へと誘う。わたしたちの記憶全体と生活経験をさらけだして、わたしたち自身の歴史的真摯さを深く追求するような対話へ、と。」(テッサ・モーリス=スズキ「ミノ・ホカリとの対話」:295.)

「日本考古学」は、こうした「困難だが必要とされている課題に真剣に取り組む」(同)覚悟が用意されているだろうか?

「ジミー: この枝を見てごらん。たった一つの道だ。これを折ったら、元に戻すことはできるかね?
保刈: それはできないですね。
ジミー: そうだろう。 -枝を放り投げてしまう- こんなことをしちゃいかん。道を守らねばならん。壊してはいけないんだ。もし法を犯したら、いったいどうすればいい? だからこそ、正しい道を行かなければならないんだ。」(124.)

共に今は亡き著者とその師との会話である。
3・11後の日本にとっては、特に肝に銘じなければならない言葉である。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0