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脱原発世界会議 [研究集会]

脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA
GLOBAL CONFERENCE FOR A NUCLEAR POWER FREE WORLD

日時: 2012年1月14日(土)・15日(日)
会場: 神奈川県 パシフィコ横浜
主催: 「脱原発世界会議」実行委員会
    (ピースボート/環境エネルギー政策研究所/グリーン・アクション/原子力資料情報室/国際環境NGO FoE Japan/国際環境NGO グリーンピース・ジャパンほか)

「NUCLEAR FREE NOW
 福島の原発事故をへて、私たちは岐路にあります。
 子どもたちを守り、夢と希望をつなぎたい。
 核の時代を終わらせ、自然と生きる未来をつくりたい。
 できるんです。
 世界の人々とつながれば。」(案内パンフレットより)

ヨルダン、マーシャル諸島、タヒチ、インドネシア、オーストラリア、南アフリカ、ケニア、インド、バングラデシュ、タイ、モンゴル、ロシア、中国、台湾、韓国、スウェーデン、デンマーク、オランダ、ドイツ、フランス、スイス、カナダ、アメリカ、エルサルバドルなどなど。

様々な場面で、様々な人々の熱い想いに触れた2日間だった。
世界の人々が、日本の今を、そして「これから」を見つめている。
それに答えようとしている力が、繋がり始めている。
労働組合、市民運動体、生活協同組合、地域政党、アウトドア企業など
しかしなぜ会場を提供しようという大学からの申し出は、なかったのか。
学長が新聞紙上で対談したり、電車内の吊広告を出す以上の宣伝効果があるはずなのに。
こうした点にも「企業体マインド」というかセンスが問われている。

「争い(争奪・戦争)を引き起こす石油と原子力から
平和を生み出す太陽光などの自然エネルギーへシフトしよう」
という飯田哲也氏の呼びかけが心に残った。

「人類が、自然環境の中にある材料から技術(テクノロジー)をもって加工した品物(物質文化環境)の多くは、腐り、朽ちる物、すなわち土から生じて土に帰る物であった。それゆえ、唯一腐りにくい物、朽ちにくい物である「石器」や「土器」が、考古学の主たる対象とされてきたのであった。
しかし今日では、物質文化環境における驚異的な技術革新が、決して腐らない物、朽ちない物を生み出し、環境汚染の元凶となっている。決して土に還元しないプラスチック、決して土に帰らない合成物質(ダイオキシン・PCB・プルトニウム・・・)。かつてはあらゆる物質が、自然環境と物質文化環境との間で生成と消滅のサイクルを形成していた。
今や土に帰ることのない産業廃棄物を如何に処理していくのかが大きな社会問題となっている。どのような環境モデルを構築し、環境問題にどのように対処するのか、生態システムへの社会的適応形態という社会と環境の関係性について考える場合には、先史社会を含めた長期的な視野が必要とされる。」
(五十嵐1998「最寒冷期の環境と適応 補説」『石器文化研究』第6号:102.)

それから14年が経過して、事態は更に深刻化し危機的な状況に立ち至っている。

「原子力のリスクの度合いは福島によって変わったわけではない。しかし、リスク認知が変わったことはたしかである。大事故のリスクというものが、単に仮想上あるというだけでなく、こうした大事故が実際にも起きうるということが、これまで以上に多くの人々に自覚されるようになった。それとともに、社会の大多数の人々のリスク認知が、リスクの現実に見合ったものとなった。(中略)
「安定したエネルギー供給」に関する考察は、社会発展の基本的問題と結びついている。人間は、技術的に可能だからといって、すべてしてよいわけではないという原則は、原子力の評価に際しても、考慮されなければならない。特に、技術の帰結が「永遠の負担」という性格を持ちうる場合には、批判的評価が特に重要となる。短期的な利益を優先した決定をすると、その負担に向き合うのは未来の多くの世代である。そうした決定をしていいのかという責任に、社会は向き合って、なにが受け入れられることで、なにが受け入れられないことと判断すべきなのか決定しなければならない。(中略)
立ち向かうべき課題に対する畏敬の念、そして自分の思考や行動における謙虚さこそが本質的に重要である。」
(安定したエネルギー供給のための倫理委員会『ドイツにおけるエネルギー転換 -未来のための共同の仕事-』三島憲一訳2011『世界』第825号)

国や行政の危機管理がいかにお粗末か、公的施策を遂行するために民主的な装いを取り繕った様々な手続がいかにないがしろにされているか、中央官庁の役人たちがいかに被害住民の気持ちを思いやる心遣いに欠けているか、テレビや新聞に頻繁に登場する専門家・研究者たちが関連組織からどれほどの資金供与を受けていたかなどが明らかにされつつある。
世界では「廃墟を見ても学ぶ能力のない日本というイメージが少しずつ広まっている」(三島憲一)という。
情けない話しである。
お粗末な行政を少しでもまともにしていく努力と共に、行政に頼らない市民が主体となったネットワークの構築が必要不可欠である。
その為には、一人一人の問題意識を高め、持続させることが欠かせない。
日本という国に、本当の意味での「民主主義」が根付くかどうかが問われている。
そう、私たちを取り巻く状況は、グローバルに変わりつつある。

「よい人間であること、あるいはよいことをすることなど、どうでもよかった。
意味のある人生、責任のある人生を送ることが重要だったのだ。」(ステファン・エセル)


タグ:脱原発
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