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佐々木ほか2011『はじめて学ぶ考古学』 [全方位書評]

佐々木憲一・小杉 康・菱田哲郎・朽木 量・若狭 徹 2011 『はじめて学ぶ考古学』有斐閣アルマ

「第Ⅰ部では、考古学研究者が発掘を経て、どのようなステップを踏んで歴史叙述に至るのかを説明しています。そして第Ⅱ部では、考古学研究の蓄積に基づいて、日本列島の人類史を再構築してみました。」(はしがき:i)

「第Ⅰ部 考古学の考え方と方法」は計6章(151頁)、「第Ⅱ部 考古学からみた日本列島の人類史」は計7章(150頁)である。
私の区分で言えば、第1考古学と第2考古学の割り合いはちょうど「1:1」である。
最近の類書(松藤和人・門田誠一編著2010『よくわかる考古学』ミネルヴァ書房)では、おおよそ「4:1」の割り合いであったことと比べると格段の「進歩」である。

本書では一言も触れられていないが、本書が前書(安田喜憲編1999『はじめて出会う日本考古学』有斐閣アルマ:捏造問題により絶版)の後継書であることは、装丁といいコンセプトといい明らかであろう。両書の構成・内容を読み比べることによって、ここ10年余りの「日本考古学」の進み具合もまた明らかになるだろう。

「遺物、遺構に対して、遺跡という言葉は日常の新聞記事やニュースで頻繁に使われます。旧石器時代の岩宿遺跡、弥生時代の吉野ケ里遺跡は高校の教科書でも紹介されています。その言葉の厳密な意味は、「過去の人間の活動を反映した位置関係を保っている遺物や遺構の総体」です(横山1985)。」(13.)

総じて横山1985や小野山1985といった四半世紀前の記述に準拠した内容となっており、新たな視点は見出しがたい。ここで使用されている「厳密」という言葉について、どのような意味を表現しようとしているのか思いあぐねる。
厳密:厳重で精密なこと。
「遺跡」という言葉の厳重で精密な意味が、過去の人間活動を反映した位置関係を保っている遺物・遺構の総体であるという説明で、「考古学専攻を志望する学生諸君だけでなく、新聞やニュースで考古学の成果の一端にふれる機会のある多くの市民の皆さん」は、どれほど納得できるだろうか。
例えば「吉野ケ里遺跡」とされた「遺物や遺構の総体」において、弥生時代以外の「過去の人間の活動を反映した位置関係を保っている遺物や遺構」は、どのように扱われているのだろうか。なぜ「吉野ケ里遺跡」のまえに「弥生時代の」が付されているのだろうか。弥生時代の「吉野ケ里遺跡」によって「吉野ケ里遺跡」の総体を説明することはできるのだろうか。そもそも「吉野ケ里遺跡」の総体とは、どのようなものなのだろうか。

「考古学において、最も基礎的で重要な資料は遺跡です。」(135.)
「最も基礎的で重要な資料」を「はじめて学ぶ」時に、その内容が「厳密」とされながら、実はよく判らないということでいいのだろうか。
もちろん、このことは本書だけが有する問題ではない。

それでは、<遺跡>とは何なのか。
思うにそれは「厳密な非正確さ」Anexactitude Rigoureuseとでも表現しようのないものなのではないか。

「何ものかを正確に指し示すためには、どうしても非正確な表現が必要なのだ。それも決してこうした段階を通らなければならないからではなく、近似値によって進行するしかないからではない。非正確さは、いささかも近似値などではなく、逆に起こりつつあることの正確な径路なのだ。」(ドゥルーズ&ガタリ1994『千のプラトー』:33.)

本書だけを読んでいては、本書の評価は覚束ない。他の参照軸が必要である。
例えば、レンフルー&バーン2007『考古学 -理論・方法・実践-』東洋書林の該当する箇所と読み比べてみる。こうした作業が、是非とも必要だ。

本書第1章「考古学とはどんな学問か」(佐々木)だったら、レンフルー&バーンの序章「考古学の特質と目的」、第1章「探究者たち-考古学の歴史-」、第2章「何が残されたか-多様な資料-」、第3章「どこに-遺跡と遺構の探査と発掘-」など。
第2章「モノをよむ」(菱田)ならば、第8章「人はどのように道具を作り使ったのか-技術-」。
第3章「時間をよむ」(朽木)ならば、第4章「いつ-年代測定法と編年-」。
第4章「空間をよむ」(小杉)ならば、第9章「人はどのように交流していたのか-交易-」。
第5章「社会をよむ」(佐々木)ならば、第5章「どのように社会は組織されたのか-社会考古学-」。
第6章「だれのための考古学か」(若狭)ならば、第14章「過去は誰のものか-考古学と社会-」。

こうした作業を行うことで「日本考古学」の特質なるものも明らかになるであろう。どこがどのように違うのか、何が同じで、何が異なるのか。書かれていないことは何か。そしてそれは何故なのか。

総じて、チャイルドが繰り返し言及されており、改めて再評価されているとの印象を受ける。それは巻末の「人名索引」においてダントツのポイント13で、第2位の山内清男、モンテリウスの6ポイントを大きく引き離していることからも裏付けられる。
何故だろう?


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