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「図書問題」に関する所感 [雑]

「本協会所蔵図書の一括寄贈の方向が明確になった2005年度の理事会で、一括寄贈先を募集した場合、海外の機関も応募することが予想されるが、海外在住研究者も会員に擁する日本を代表する学会が、国籍条件を付した募集をかけるのは問題が大きい、という意見が出されました。」(一般社団法人日本考古学協会理事会20108月「日本考古学協会所蔵図書の一括寄贈について」『日本考古学協会会報』No.17022頁)

 

全ての問題は、ここから始まったような気がする。

またこうした文章も示されている。

「国籍をもって判断を左右することは本協会の基本原則に反するからです。」(同:18頁)

日本の学術団体が所有する図書類の寄贈先を国内の機関に限定することが、なぜ「問題が大きい」のだろうか? 

そしてなぜ「基本原則に反する」のだろうか?

 

日本に在住し税金等を納付している人々に対して、等しく就職の門戸を開きあるいは昇進の際の差別を撤廃するという所謂「国籍条項」問題と今回の「所蔵図書」の「国籍」問題とは、根本的に問題の質が異なることは明らかであろう。

所有組織が「国内に留めおくべき」と考える所有物の譲渡先を「国内組織」に限定することは、何の問題もないはずである。しかしそのことが「問題が大きい」として海外機関に譲渡することの根拠として示されている。仮に寄贈先を国内組織に限定する条件を付したとして、果たして「海外の機関」あるいは「海外在住研究者」がクレームなどをつけるだろうか? それこそいったい何を根拠として? 私にはちょっと想像ができない。

 

そして一方では「蔵書の一括保存を大原則」あるいは「一括寄贈を基本原則」(同:18頁)と繰り返し主張されている「一括寄贈」原則の固守である。そのことが原因となって「国内機関の応募がなかった理由」であることは、当の本人が明確に認識しているにも関わらず。

「一括受贈はきわめて難しいのが現状です。」(同:22頁)

応募期間内に国内機関の応募がなく唯一あったのが海外機関のみであることが明らかになった時点で、二つの「原則」が真っ向から対立していることも同時に明らかになったはずである。

すなわち「国内限定」と「一括寄贈」という二つの原則である。ここから幾つかの選択肢が浮かび上がる。

1.「一括寄贈」という原則を変更して、「国内機関」の応募の道を探る。

2.「一括寄贈」という原則を固守して、「海外機関」に寄贈する。

結局、理事会は、こうした二つの原則が衝突しているという状況を会員に示すことなく、後者を選択し、公表に至ったわけである。

 

応募期間以前には「国内4つの機関・大学」(同:20頁)から問い合わせがあったのだから、もし「一括寄贈」の原則が変更されて一部重複図書の非受け入れが容認されたとしたら、事態は明らかに違った展開を示したはずである。

本来ならばここで、協会の構成員である全ての日本考古学協会会員に判断が求められてしかるべきではないだろうか。

すなわち「一括寄贈」という原則を変更し、一部重複図書の非受け入れを容認し、大勢としては「ほぼ全体」に近い所蔵内容を確保できる国内機関か、それとも1冊の非受け入れも行わない完全な「一括寄贈」を旨とする海外機関か、どちらを選択するのか?

 

私も最初から「海外機関」が絶対ダメと考えているわけではない。

しかし物事には順序というものがある。

まず国内に「日本考古学」に関する総合的な「考古学資料センター」的な施設が設けられて然るべきではないか。その上で、さらに「日本考古学」を海外に紹介するために、日本考古学に関する図書類が海外に寄贈されるならば、そのことについては大歓迎である。そこから「図書活用にとどまらない、さらに広がりをもつ展開が視野に入る」(同:19頁)ということもありうるだろう。しかし国内にそうした施設が一つとして存在していないにも関わらず、その基礎となるべき資料を海外に寄贈する。

 

理解できない所以である。


タグ:協会図書
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