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2009c『木簡研究』 [拙文自評]

五十嵐 2009c 「東京・港区愛宕下遺跡(港区No.149遺跡)」『木簡研究』第31号、木簡学会:65-71.

苦手とする領域は多々あれど、なかでも占いや呪いといった類はその最たるものである。ところがそうした場合に限って遭遇するというのは、世の常である。
やたらと四角い奇妙な土抗の底から、何やら墨で書かれた木の札とかわらけがまとまって出てきたのは、今から5年前のことである。梵字や八卦のほか「鬼・鬼・鬼」など何やら恐ろしい呪句が記されている。早速出土地点から至近距離にあった真言宗智山派別院真福寺内の真言密教を研究している組織「智山伝法院」というところに出土した呪符木簡を持参して、記されている梵字の意味などをご教示いただいた。その後、修験道や密教を研究されている方々にも記されている意味などを伺うべく問い合わせの手紙などを差し上げたのだが、一向に呪句の意味あるいは儀礼の実態を明らかにすることができなかった。それでも何とか報告を上梓し、やれやれと安堵していた時に、「木簡学会」というところから『木簡研究』という雑誌に「愛宕下」出土文字資料の釈文と概要を記すようにとの依頼が回って来た。

こんなことでもなければ読むことはおろか手に取ることもない研究誌である。
驚いたのは、「木簡」資料を全国から集成するその熱意である。

「木簡の基本的属性としてどのような情報を抽出すべきか、実測図、高精細の全体写真、赤外線写真の扱いなど、情報をいかなる形で表現し、どの程度まで提示すべきか、また、加工技法に関わる用語や木簡型式分類の標準化をどのように図っていくか、を改めて検討する必要があろう。木簡学会も、三一年目に入った今、文献史学・考古学などの研究者が協働するプロジェクトを立ち上げ、たとえば荷札木簡などの端部形状や切り込みの技法・形状に木簡の機能や作成者の違いなどが反映されているか否かなど、木簡の各種属性項目の有意性に関わる議論を重ねたり、木簡の分類基準について再検討したりするなどして、右記の課題解決に積極的に貢献すべき段階に来ているのではなかろうか。」(山中敏史2009「巻頭言 -考古資料としての木簡情報共有化への提言-」『木簡研究』第31号:i-ii.) 

「愛宕下」についても、件の「呪符木簡」と上総苅谷藩初代藩主堀直影名の荷札および「呪符土器皿」ぐらいでいいかと簡単に考えていたのだが、その他の墨書木製品も全て報告するようにと催促された次第である。

そして「墨書木製品」に対する熱意と対応するかの如く特徴的なのは、木製品以外の文字資料に対するやや別扱いという扱いである。もちろん「木簡学会」なのだから「墨書木製品」が研究対象であるのは、十二分に理解できるのだが、それでも門外漢からすれば「呪符木簡」も「呪符土器皿」も記された対象物の材質が違うだけで、その歴史的意味合いについては何ら違いはないわけで、その両者に扱いの軽重をつけるという発想は理解が困難である。勿論、対象を広げていったら、限がないという現実的な制約もよーく理解できるのだが。
それでも将棋の駒は仲間に入って、墨書土器や刻書文字瓦は仲間外れというのは、何とも言いがたい違和感が残る。

本「木簡学会」は、奈良文化財研究所の史料研究室内に事務局が設置されている。
件の「遺跡学会」は、同研究所景観研究室内に事務局が置かれている。
共に全国規模で精力的な活動がなされているようである。個人的には、こうした研究活動がさらに他の分野においてもなされるように期待したい。

例えば、「接合学会」。
「日本考古学」が始まって以来、いったい今までどれだけの接合資料が報告されてきただろうか。そしてその実態は、どれほど把握されているのだろうか。切り合う遺構間での接合事例は、どのような事例があるのだろうか。
例えば、「型式学会」。
<もの>の形に表わされる時間性について考える。考古学の主要な方法論とされている「型式」概念は、土器以外の資料、石器や木器などにどれほど充当できるのだろうか。商品である陶磁器などにも先史土器の型式概念を同じように充当することができるのだろうか。

こうした研究にこそ、「日本考古学」のエネルギーが注がれてしかるべきではないか、というのが年も押し迫った2009年年末の思いである。


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