SSブログ

野村2008「文化的暴力としての政治的誤読と精神の植民地化」 [論文時評]

野村 浩也2008「文化的暴力としての政治的誤読と精神の植民地化」『「文化」と「権力」の社会学』河口和也編、広島修道大学研究叢書第140号:49-89.

本ブログでも取り上げた野村2005『無意識の植民地主義』【2006-4-11】に対する論評(野村氏は「書評」に値しないために「エッセイ」としている)に関する分析である。

「いずれにせよ、精確な読書もできない者に関しては、こちらも手のほどこしようがないので、通常は放っておくしかない。それにもかかわらず、攻撃の言説として安里の「エッセイ」を分析することに意義があるとすれば、拙著『無意識の植民地主義』で提起した理論的命題や仮説を支持するデータとしての重要性につきる。安里は、意図せざる結果として、拙著を精読した者からはけっして得られないような貴重なデータを提供しているのである。
つまり、「精神の植民地化」「アンクル・トム」「共犯化の政治」「加害者の被害妄想」「加害者の被害者化と被害者の加害者化」「文化の爆弾」「劣等コンプレックス」「愚鈍への逃避」等の概念によって拙著で展開した分析の妥当性を、安里は、頼みもしないのにみずから証明してくれているといっても過言ではないのだ。いいかえれば、安里の無意識の植民地主義が、まったく無防備な形で露呈しているのである。それは、拙著を精読した者にはとうてい不可能な無防備さともいえるだろう。」(51.)

なぜ攻撃的な言説がなされるのか? 

「このように、安里が拙著を呪詛するのは、拙著が「ホントのコト」を記述しているからである。日本人が沖縄人に米軍基地を押しつけていることが「ホントのコト」だからである。さらには、安里と親しい日本人が沖縄人に基地を押しつけていることもまた「ホントのコト」だからである。しかも、その「ホントのコト」を、安里が直視できないからである。そして、「ホントのコト」を否定したいという欲望が強烈だからこそ、安里は、拙著を呪詛するほかないのだ。」(61.)

「ホントのコト」に対して論理的に反論できなくても、心情的には反発する。
こうした感情的な反発に関する分析としては、秀逸である。

「そもそも「ホントのコト」を述べる者さえいなければ、このような窮地に追いこまれることもなかったのだ、と。「あいつさえいなければ、うまくいっていたのに」、と。こうして拙著に対する呪詛の感情が発生するのである。これは、要するに、「逆ギレ」である。」(61.)

私も、「逆ギレ」された経験がなくはない(滅多に二重否定といったレトリックは使わないのだが、この場合はこれが相応しいような気がする)。しかし野村氏とは、立場も深刻さもレベルが違うだろう。「逆ギレ」された当時は何が何やら判らずに面食らうばかりだったが、しばらく時を経るにつれ「逆ギレ」した人が何故「逆ギレ」したのか、何を守りたかったのか、おぼろげながら窺い知ることができるようになってきた。普通は、「お互い大人なのだから」とか「中庸の和」とか言って、こうしたことは深く追求されることもなく殆ど表沙汰にはならない。だからこそ、「逆ギレ」を受けた時の心構えというか対処法として大変貴重な分析事例である。

「逆ギレとは、「ホントのコト」を否定するための攻撃にほかならないのである。」(63.)

反論はできないが、反撃はしたい、というのが相手の心情なのである。
こうした場合に、建設的な議論は殆ど不可能である。相手の心情と共に自らの心情をも冷静に分析する精神が必要である。その為には、場数を踏むといった経験や修練の場も必要であろう。
まずは逆ギレと真っ当な批判とを見極めることが大前提である。そして、誰が誰に対して、どのような点において「逆ギレ」しているのか、それはどのようなことが原因なのかを、見極めることが求められている。

「拙著で日本人に提起した「基地を日本に持って帰れ」という平等要求は、この現実の認識を拡大する契機を含んでいるがゆえに、逆ギレ攻撃を招きやすいといえよう。
なぜなら、この平等要求は、沖縄人に75%もの在日米軍基地を押しつけているところの日本人の不当性についての認識を前提としているからである。在日米軍基地は、本来、日本国民全体で平等に負担しなければならないものであり、沖縄人に対する一方的な押しつけは不当な差別にほかならない。そして、「良心的な日本人」を含むすべての日本人が、沖縄人に基地を押しつける差別を実践し、沖縄人を植民地主義的に搾取することによって、不当にも、在日米軍基地の平等な負担から逃れているのだ。したがって、日本人に対して基地の平等な負担を要求することは、沖縄人の当然の権利にほかならない。沖縄から日本への米軍基地移転は、日本人が沖縄人への基地の押しつけという差別をやめて、沖縄人との平等を実現するための、まったくもって正当な方法なのである。」(65.)

普天間移設問題は、八ツ場ダムや高速道路無料化やJAL支援や消えた年金や25%削減とは比べようもない、「日本」という国家にとって最重要の懸案事項である。


タグ:言論
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1