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野口2009『砂川遺跡』 [全方位書評]

野口 淳 2009 『武蔵野に残る旧石器人の足跡 砂川遺跡』シリーズ「遺跡を学ぶ」059、新泉社.

「(前略)砂川遺跡は考古学の研究を語るうえで、なくてはならない存在となった。それは、この遺跡を舞台として、二万年前の日常を、具体的、詳細に解明する方法が研鑽されたからである。そしてその価値は、いまなお色あせていない。最新の研究に着実に接ぎ木され、新たな解明が進められつつある。」(8.)

どのような「最新の研究に着実に接ぎ木」されているのだろうか。
そしてどのような「新たな解明が進められつつある」のだろうか。
その「色」の「あせ」具合を検証してみよう。

「類型A:石核を含むまん中の部分が残っている個体。しかし、表皮の部分が欠けている。
類型B:石核を含まない個体。まん中の部分が欠けているが、表皮の部分は残っている。」(34.)
類型Aと類型Bは、それぞれ打ち割り作業の前半と後半部分が遺跡に残されていない。ほかの場所に残されていると考えられている。X地点での類型Bは、Y地点での類型Aとなり、Y地点での類型Bは、Z地点での類型Aとなる。作業の半分ずつが、つぎつぎに持ち越される。」(35.)

砂川遺跡において、表皮の部分がまるまる残っているような接合資料(類型B)は、果たしてどれぐらいあるのだろうか? 例えば、典型的な類型Bとされる資料(表紙写真に採用され、図19左上写真、図20左図に示されている「接合資料6」)にせよ、石核以外の部分について「おおもとの原料(石塊)には戻らなかった」(29.) すなわち全面が礫面で覆われているような剥片は接合していないのである。

「接合資料における欠落部分」として右側中央の石核部分が「遺跡内に残されていない部分」として「網点部」で示された図(野口2007「遺跡の空間分析」『ゼミナール旧石器考古学』:96.図3左上)においても、「網点部」は左側外周部分にも表示されなければならなかったのではないか。

典型的な類型Bが実は真の類型Bでないとしたら、他の類型Bは推して知るべし。
剥片剥離面で複数枚の剥片が接合する各種接合個体(30頁の図21:中「接合資料11」、下左「接合資料12」、下中「接合資料9」、下右「接合資料10」)は、本当に類型Bの条件を満たしているのだろうか?

そして複数枚の剥片と加工石器が剥離面接合する接合個体(例えば「接合資料9」など)は、持ち込まれた複数枚剥片の一部がその場で二次調整を施されて加工されたか、それともその場で剥片剥離を施して併せて二次調整加工も施されたかを識別することができるのだろうか。
これらは、打ち割り作業の後半を示す類型Aなのか前半を示す類型Bなのか、それとも単純な持ち込みである類型Cなのか、戸惑うばかりである。

「「原料の二重構成と時差消費」も、居住地の移動の前後を見越した計画性を意味する。まさに、旧石器時代の狩猟採集民による遊動生活の計画性を示しているといえるだろう。」(49.)

様々な剥離段階の資料が、その場の状況に応じて、様々に残されている。
実際は前半と後半といった単純な「二重構成」ではなく、「多重構成」なのではないのか。

「石屑:かわら石を原料とする石器づくりでは、打ち割りの最後に残る芯の部分(石核)、打ち割りの条件を整える際に生じる調整剥片、こまかな調整や加工時に生じる剥片と砕片がでる。これらは総じて、石器づくりの際に、目的物とは別に生じる副産物、石屑である。」(24.)

図17(25頁)に「石刃(素材・道具)」として示された左端の資料(「接合資料3-5」)と「石屑」として示された左端の資料(「接合資料3-1」)について、なぜ前者が主産物となり後者が副産物とされるのか、説得的に説明することができるだろうか。
もし私たちが理解できなければ、これらを作り用いた「砂川人」も理解できないだろう。

「砂川モデル」の一番の問題点は、何か。
それは、「石屑」に対する過度の思い入れ、評価軸として過重な役割を与えたことである。

「旧石器資料報告における「母岩問題」は、空間属性が「石器群」から「集中部」単位に細分され、材種属性が「石材」から「母岩」に細分され、最小サイズの器種属性である「砕片」に焦点が集中した時に、その問題性が最も顕在化する。」(五十嵐2002b「旧石器資料関係論」:58.)

「このように、遺跡から出土した資料の詳細な観察、接合資料と個体別資料の分析にはじまり、遺跡に残された石器づくりの内容と人間行動、遺跡の構成を復元する研究は、「遺跡構造論」とよばれる。現在にいたるまで、日本の旧石器時代研究の重要な一分野である。
その出発点はもちろん、砂川遺跡の調査研究であった。」(49.)
「「構造論」の用語は、理論的基盤の整備も含め、さらなる研究の深化をみるまでいったん封印することを提言したい。」(野口2005「旧石器時代遺跡研究の枠組み -いわゆる「遺跡構造論」の解体と再構築-」『旧石器研究』第1号:32.)

わずか4年の年月によって「遺跡構造論」の理論的基盤は整備され、「さらなる研究の深化」が見られたので、ここに封印が解かれたのだろうか。
謎は、深まるばかりである。
むしろ解くべきは、「砂川神話」という封印なのではないか。


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コメント 1

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

余りにも反応がないので、ちょっと悲しいけど、追加の自己レスを。
有名な「砂川型刃器技法」(29・30.)と呼ばれているものは、一般的な両設打面の石刃技法といったいどこが違うのでしょうか?
すなわちあえて「砂川型」と型式名を与える根拠は、どこにあるのでしょうか?
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2009-09-13 20:20) 

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