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都埋文センター第226集 [考古誌批評]

東京都埋蔵文化財センター調査報告 第226集 港区愛宕下遺跡 Ⅰ -港区No.149遺跡- 
環状第二号線 新橋・虎ノ門地区 第二種市街地再開発事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
(第1分冊:322頁 第2分冊:390頁 2009年1月31日発行)

いろいろと述べたいことは多々あるのだが・・・

「(前略)本報告においては、上記事業用地の埋蔵文化財包蔵地である「港区No.149遺跡」の総称として「愛宕下遺跡」の名称を用いることとした。」(「例言」2)

引用文の前後において、いろいろと述べられているのだが、何度読み返してみても、なぜ「埋蔵文化財包蔵地である「港区No.149遺跡」の総称として「愛宕下遺跡」の名称を用い」なければならないのか、その根拠というか必然性といったものが判然としない。

何回かのやり取りの末に当該文章を作成した担当者に最終的に送った文章を、以下に再録する。

「例えば、「No.149-1地点」、「No.149-12地点」などの「総称として」「港区No.149遺跡」という名称を用いるというのならば、理解できます。
あるいは、「港区No.149遺跡」、「港区No.19遺跡」などの「総称として」「愛宕下遺跡」という名称を用いるというのならば、理解できます。
しかし、「港区No.149遺跡」の「総称として」「愛宕下遺跡」という名称を用いるというのならば、残念ながらよく判らないし、理解もできません。」

「「連続的単純遺跡」が引き起こす典型的なトラブルは、「遺跡名称問題」(五十嵐2004)である。単一の時代/時期に属する「平面的な遺跡」が離散的に分布している「離散的単純遺跡」においては、<遺跡>名称を与える際にも、散在する地名や町名を当てはめることで何ら問題が生じることはなかった。しかしながら都市部における連続する<遺跡>分布状況においては、対象とする地点名称が従来の地名や町名では対応しきれないのである。」(五十嵐2007a「<遺跡>問題」『近世・近現代考古学入門』:248.)

行政的な<遺跡>すなわち「埋蔵文化財包蔵地」には地方行政区分である市町村名に通し番号を付した名称を、考古学的な<遺跡>には「地名や町名を当てはめる」というのなら、まだ理解が可能である。しかしそうした使い分けを意図しているようでもない。
いったい「港区No.149遺跡」と「愛宕下遺跡」の違いは、何なのか?
もし違いがないとするならば、すなわち同じであるならば、あえて異なる名称を併記する必然性とは何なのか?

単に、現代の開発計画が契機となって策定された調査区(調査範囲)に対して「○○遺跡」という名称を付ける意味。
単に、現代の開発計画が契機となって策定された調査区(調査範囲)から出土した資料を報告する刊行物の書名に「○○遺跡」という名称を付ける意味。


タグ:<遺跡>
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