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アイヌ民族のいま、そしてこれからを考える [研究集会]

-シンポジウム アイヌ文化振興法制定から10年-
日時:2007年5月13日(日) 午後2時~5時
場所:東京都港区 大阪経済法科大学 東京麻布台セミナーハウス
主催:先住民族の10年 市民連絡会、市民外交センター

1997年5月14日、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(略称「アイヌ文化振興法」)が公布され、同年7月1日施行された。同時におよそ1世紀の長きにわたりアイヌ民族の同化を目的として機能してきた差別的な「北海道旧土人保護法」が廃止された。
それから、10年。何が変わって、何が変わっていないのか。
財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長による基調報告およびそれを受けた関東近県在住のアイヌの人々によるウコイタク(語り合い)がなされた。

「(目的)第一条 この法律は、アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化(以下「アイヌの伝統等」という。)が置かれている状況にかんがみ、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及及び啓発(以下「アイヌ文化の振興等」という。)を図るための施策を推進することにより、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする。
(定義)第二条 この法律において「アイヌ文化」とは、アイヌ語並びにアイヌにおいて継承されてきた音楽、舞踏、工芸その他の文化的所産及びこれらから発展した文化的所産をいう。」

キーワードは、「アイヌの伝統」および「アイヌ文化の振興」である。
アイヌ民族自身が求めてきた原案「アイヌ民族に関する法律」では、「アイヌ民族問題は、日本近代国家への成立過程において引き起こされた恥ずべき歴史的所産」として、民族議席の確保、教育・文化の保証、民族自立化基金の創設などが謳われていたが、その殆どの項目が切り捨てられ、実現したのは文化振興の一点のみであった。それをも「重大な一歩」として評価せざるを得ない現状の厳しさ。
何よりもアイヌ民族の「先住権」が明記されなかったことは、致命的である。僅かに「付帯決議」において、「先住性」なる極めて曖昧な用語が挿入されたのみである。「先住権」と「先住性」の間にある越えがたい懸隔、それすらも本文中ではなく付帯決議などでおざなりになされていることの明確な政治的な意図ないしは後述するましこ氏の言葉を借りれば「集合的無意識」。
積み残された課題は多い。今後は、こうした単なる「文化法」(当該財団法人ですら「文化」に限定した事業しか振興・研究推進できない!)を改訂して、本当の意味での(すなわち「大地の一体性」を回復することができるような)「民族法」を確立することが当面の課題となる。
「アイヌ語をなべで煮て食えるかって思っていた。」(故萱野茂氏)

「私たちは、自分たちの伝統がそれとは対照的な考え方および行動規範とぶつかりあう世界に生きている。大地の一体性は、同一の歴史、文化、そして伝統を共有する人々さえも離れ離れにしてしまう「国家」と呼ばれる人為的な統一体によって打ち砕かれてしまった。大地の一体性は、さらにそれぞれの国家内においても誰の土地でもない土地を「私有財」として分割してしまう人工的な境界線によって粉々にされてしまっている。大地の一体性は、大気、土地、水そしてその上に生きる生命に害毒をまき散らす商工業の活動によって粉砕されている。大地の一体性は、人間より利益を重んじ、大地のみならず、大地の子ら -大地とそのリズムに調和しながら生きる先住民- をも躊躇せず滅ぼそうとしている搾取者によってばらばらにされてきた。母なる地球と、先住民を滅ぼそうとすることによって、大地を食い物にするこれらの人々は、自分たち自身と未来の植物、動物、そして人間の命を破壊しつつある。」(1981年国際NGO会議に対する国際インディアン条約協議会による提言『世界の先住民族』明石書店:27-28.)

「2001年、いく人かの政治家によって発言・撤回がくりかえされた「単一民族国家」論や「アイヌ民族同化」論も、単なる党派的問題とか、保守政治家の個人的失言、人権意識の不十分さ、勉強不足のたぐいと即断するのはまずかろう。左派政党もふくめた多数派日本人のおおくが、北海道や「北方四島」を「固有の領土」とうたがっておらず、先住者であるアイヌほか北方少数民族が「自治権回復」などの問題提起、賠償請求などを具体的にはじめかねない危険性を無意識に感じとってきた。おそらく、そういった集合的無意識の「代表」こそ、くだんの「失言」の反復現象の本質なのだ。」(ましこ・ひでのり2002『日本人という自画像』三元社:78.)

本来、政府が責任をもってなすべき事柄を、財団法人といった第三セクターに押し付けて、本質に踏み込むことのない中途半端な施策を申し訳程度に行なうことによって、却って救済すべき当事者間に深い溝を作ってしまう。同じく「自社さ」政権のもとで創設された軍隊性奴隷とされた人々に対する「民間募金による見舞金支給」との構造的類同性を思わずにはいられない。

未だに「開拓史観」(五十嵐2004b「近現代考古学認識論」:345.註6参照)から離脱できない「日本考古学」の責任も重い。


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