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遺跡とは(2) [遺跡問題]

型式論について考えている時に、考えた。
<遺跡>の型式とは、何だろうか?
型式学論議では、何故<遺跡>の型式について語らないのだろう?

土器型式や石器型式といった「遺物型式」、そして僅かながらも住居(住居址)型式や炉型式といった「遺構型式」は、論じられている。
それでは、<遺跡>型式とは、どのようなものなのか?

<遺跡>の種類ということは、言われている。曰く、生産遺跡、埋納遺跡、墳墓遺跡、集落遺跡・・・
あるいは、立地状況からの分類もなされている。曰く、泥炭層遺跡、洞窟遺跡、開地遺跡、水底遺跡・・・

もし、<遺跡>型式について述べるならば、当然、<遺跡>の型・形・形状について、明確に把握することが前提となろう。形が把握できないものに、型式は認定できないからだ。
それでは、<遺跡>の形とはどのようなものなのか?

今までの考古学研究で、正面から<遺跡>の形を取り上げて、考察したものはあるのだろうか?
<遺跡>に、形など存在しない。だから、<遺跡>の型式学など存在しない。
それならば、そのことは<遺跡>が、遺構や遺物とは、異なる存在物であるということをそのまま意味しているのだろうか? そして、そのことを私たちはしっかりと認識しているのだろうか?

「遺物と遺構、あるいはそれが大地の中で結合している状況を包括する遺跡、それらはわれわれの祖先がその生活活動によって彼らをとりまく環境の中に刻み残したものである。その生活活動は彼らのおかれた社会的諸関係の中で営まれる。それが時間的順序をもって生起し、空間的な広がりを固有しているのは当然だ。それらを解きほぐすため、考古学者は考古資料の大海の中で、まず同質な部分と異質の要素を探り出し、それらを残した人間活動の内容と時間的空間的な広がりを推定する手掛りにしようと試みる。そのための一つの、重要な方法が型式学的研究法である。」(田中琢1978「型式学の問題」『日本考古学を学ぶ(1)』有斐閣選書:14-15)

そして語られるのは、鉄道客車、北欧留針などモンテリウス由来の遺物に関する説明のみである。
それでは、遺物と同じく「時間的順序をもって生起し、空間的な広がりを固有している」はずの遺構、そして<遺跡>は、なぜ取り上げられないのか?

「型式の組列という作業仮説の検証にとって重要なのは一括遺物である。」(同:p.18)
そもそも、遺構や<遺跡>に、どうやって、「一括遺物」概念を適用するのか?

「型式学を最も広い意味に解すると、考古資料の分類学であるということができる。」
「「型式」というのは、考古資料の分類における基本的な単位である。」(横山浩一1985「型式論」『岩波講座日本考古学1研究の方法』p.44)

この文章を書いた時/読んだ時、彼の/私たちの脳裏に、果たして「考古資料」という用語の中に<遺跡>は含まれていた/いるのだろうか?

こうした素朴な疑問に、膨大な型式論議を積み上げてきた日本考古学は、少しも答えようとはしてこなかった。
そのことに、初めて気が付いた。
だから、これからは、気が付いた者が、答えを探し当てなければならない。

そうした「答え」を探し求めて、「いざ、大阪へ」。


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